「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

己が前にラッパを鳴らすな Long Good-bye 2025・02・28

2025-02-28 05:30:00 | Weblog

 

  いつの頃からか 、我に有利と見るや 、耳にした情報

 を 、右から左へネットに流す人士が増えてきた 。

  まるで愉快犯のように 、不特定多数が参加するSNS

 を使って他人を炎上させて 、ひとり悦に入ってる感じ 。

 俗に 、マッチポンプと言う 。

  大人の「 見て見て 」言動にはうんざりさせられる 。

  世の中 、自己顕示欲全開のひとが多いこと 、多いこ

 と 。ジェンダーにかかわりなく 、承認欲求の強いこ

 と 、強いこと 。年齢にかかわりなく見られる 現代人

 の通弊 。

  いくつになっても 、己が前にラッパを鳴らす人が

 多いこと 、多いこと 。大人しく、ハムブルでいら

 れないものか 、と思ってしまう 。

  「 ラッパを鳴らす 」って表現 、どこで見たんだっけ

 と考えていて 、思いだした 。最近読んだ 新約聖書の

 文語訳 、「 マタイ傳福音書 」の第六章 第1節か

 第18節の中にあったのだ 。

  ご参考までに そのくだりを以下に引用 、「 ラッパを

 鳴らす 」が出てくるのは はじめの方の 第2節 。

  引用はじめ 。

 「 第六章

  1 汝(なんぢ)ら見(み)られんために己(おの)が義(ぎ)
  を人(ひと)の前(まへ)にて行(おこな)はぬやうに心
  (こころ)せよ 。然(しか)らずば 、天(てん)にいま
  す汝(なんぢ)らの父(ちち)より報(むくい)を得(え)
  じ 。
  2 さらば施濟(ほどこし)をなすとき 、僞善者(ぎぜ
  んしゃ)が人(ひと)に崇(あが)められんとて會堂(く
  わいだう)や街(ちまた)にて爲(な)すごとく 、己(お
  の)が前(まへ)にラッパを鳴(なら)すな 。誠(まこと) 
  に汝(なんぢ)らに告(つ)ぐ 、彼(かれ)らは既(すで)
  にその報(むくい)を得(え)たり 。3 汝(なんぢ)は施
  濟(ほどこし)をなすとき 、右(みぎ)の手(て)のなす
  ことを左(ひだり)の手(て)に知(し)らすな 。4 是(こ
  れ)はその施濟(ほどこし)の隱(かく)れん爲(ため)な
  り 。さらば隠(かく)れたるに見(み)たまふ汝(なんぢ)
  の父(ちち)は報(むく)い給(たま)はん 。」

  ちょっと長いけど 、このまま引用を続ける 。

  「 5 なんぢら祈(いの)るとき 、僞善者(ぎぜんしゃ)の
  如(ごと)くあらざれ 。彼(かれ)らは人(ひと)に顯(あ
  らは)さんとて 、會堂(くわいだう)や大路(おほじ)の
  角(かど)に立(た)ちて祈(いの)ることを好(この)む 。
  誠(まこと)に汝(なんぢ)らに告(つ)ぐ 、彼(かれ)ら
  は既(すで)にその報(むくい)を得(え)たり 。
  6 なんぢは祈(いの)るとき 、己(おの)が部屋(へや)
  にいり 、戸(と)を閉(と)ぢて隱(かく)れたるに在(い
  ま)す汝(なんぢ)の父(ちち)に祈(いの)れ 。さらば隱
  (かく)れたるに見給(みたま)ふなんぢの父(ちち)は報
  (むく)い給(たま)はん 。 7 また祈(いの)るとき 、異
  邦人(いはうじん)の如(ごと)くいたづらに言(ことば)
  を反復(くりかへ)すな 。彼(かれ)らは言(ことば)多
  (おほ)きによりて聽(き)かれんと思(おも)ふなり 。
  8 さらば彼(かれ)らに效(なら)ふな 、汝(なんぢ)ら
  の父(ちち)は求(もと)めぬ前(さき)に 、なんぢらの
  必要(ひつえう)なる物(もの)を知(し)りたまふ 。
  9 この故(ゆゑ)に汝(なんぢ)らは斯(か)く祈(いの)
  れ 。『 天(てん)にいます我(われ)らの父(ちち)よ 、
  願(ねが)はくは御名(みな)の崇(あが)められん事(こ
  と)を 。10 御國(みくに)の來(きた)らんことを 。
  御意(みこころ)の天(てん)のごとく地(ち)にも行(お
  こな)はれん事(こと)を 。11 我(われ)らの日用(に
  ちよう)の糧(かて)を今日(けふ)もあたへ給(たま)
  へ 。12 我(われ)らに負債(おひめ)ある者(もの)を
  我(われ)らの免(ゆる)したる如(ごと)く 、我(われ)
  らの負債(おひめ)をも免(ゆる)し給(たま)へ 。
  13 我(われ)らを嘗試(こころみ)に遇(あ)はせず 、
  惡(あく)より救(すく)ひ出(だ)したまへ 』
  14 汝等(なんぢら)もし人(ひと)の過失(あやまち)
  を免(ゆる)さば 、汝(なんぢ)らの天(てん)の父(ち
  ち)も汝(なんぢ)らを免(ゆる)し給(たま)はん 。
  15 もし人(ひと)を免(ゆる)さずば 、汝(なんぢ)ら
  の過失(あやまち)を免(ゆる)し給(たま)はじ 。
  16 なんぢら斷食(だんじき)するとき 、僞善者(ぎ
  ぜんしゃ)のごとく 、悲(かな)しき面容(おももち)
  をすな 。彼(かれ)らは斷食(だんじき)することを
  人(ひと)に顯(あらは)さんとて 、その顔色(かほい
  ろ)を害(そこな)ふなり 。誠(まこと)に汝(なんぢ)
  らに告(つ)ぐ 、彼(かれ)らは既(すで)にその報(む
  くい)を得(え)たり 。17 なんぢは斷食(だんじき)
  するとき 、頭(かしら)に油(あぶら)をぬり 、顔
  (かほ)をあらへ 。18 これ斷食(だんじき)すること
  の人(ひと)に顯(あらは)れずして 、隱(かく)れた
  るに在(いま)す汝(なんぢ)の父(ちち)にあらはれん
  爲(ため)なり 。さらば隱(かく)れたるに見(み)た
  まふ汝(なんぢ)の父(ちち)は報(むく)い給(たま)は
  ん 。

  引用おわり 。

  第6章 、結構気に入っている 。この章も 、一つ前の

 第5章も「 山上の垂訓 」の一部であるが 、こうした

 弟子や群衆を伴っての行動が 、時の権力者や批判の

 対象となった 宗教指導者たち をいらだたせたであろ

 うことは 、容易に想像がつく 。

 

 

  新約聖書の文語訳を拾い読みする傍ら 、他の電子書籍を

 読むこともある 。最近読んだものの中では 、早川書房 刊 、

 ロアルド・ダール 著 、永井淳 訳 「 来訪者 ( The Visitor ) 」

 が面白かった 。「 オズワルド叔父さん 」のスピンオフ的

 な短編小説で 、叔父さんが書き遺した 二十八巻の日記 の

 二十八巻目に含まれる 数少ない公開可能な エピソード と

 いう設定で物話りは始まる 。「 オズワルド叔父さん 」同

 様 、 ブラック・ユーモアの利いた 艶笑譚 。

 

 

 

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