柏市大井の風早北部小学校前に並んだ石碑群。
江戸時代の庚申塔に混じって明治時代の“馬頭観音”が建っている。
小学校前のこの道(柏ー印西線)は、昔からの道で、馬車の通行も盛んだったのだろう。
明治42年生まれの私の父は、こんな話を残している。
私の家から足助まで約2キロ、今は国道153号線と言っているが、昔は飯田街道と言っていた。
足助へ行く道のところどころに、馬の頭を彫った石の観音像やお地蔵さんが、砂ぼこりにまみれて建っていた。中には、花壺に花の立ててあるのもあった。
私のお母さんは、この道を通るたびに、そういう石の仏たちを拝んだり、道端の草花を手折って花筒に挿し、丁寧におまいりしていた。
あるとき、まだ妹が4才のとき、足助からの帰りに、おかあさんと正子が馬車に乗った。そのころは、トテ馬車が足助から岡崎まで定期に通っていたので、足助ー追分間をよく利用したものだった。
さて、町をはずれて三本松にかかった頃、何に驚いたか、馬が急に走り出した。馬方があわてて止めようとしたが、馬はますます荒れ狂って無茶に走り、道を踏み外して馬車もろとも下の河原にころげ落ちた。20メートルぐらいあるから、4、5回は回転しただろう。
馬のことは聞かなかったが、お母さんも正子もかすり傷やコブぐらいで、大した怪我はなかった。ほかに、2、3人乗っていた人も、みな無事であった。正子は窓からほうり出されたが運よく馬車にも轢かれず、笹薮の中で助かった。