平成24年8月15日。
終戦の年から67年たっている。
畑の隅にホウセンカが咲いていた。
民家の入り口に置かれているものは、先祖の精霊を迎えるための供え物。
墓地に、庚申塔に、道端に、同じような供え物がみられる。
お盆の時期に見られる、昔からの風景。
都会暮らしに馴れ、このような風習から疎遠になった私たちだが、どことなく懐かしさを感じる。
神社の境内にある戦没者の慰霊碑に、お神酒が供えてあるのも終戦記念日に相応しい。
近くにある、もう一つの神社に立ち寄った。
96戸の村から、108名が戦地におもむき、27名が戦没したことが記されていた。
終戦67年 不戦の誓い
約310万人に上る戦没者を慰霊する「全国戦没者追悼式」が、
67回目の15日、天皇皇后両陛下をお迎えして、
東京都千代田区の日本武道館で開かれた。
戦没者の遺族らのほか、野田首相ら各界の代表者も合わせて約6000人が参列し、
戦争犠牲者の冥福を祈った。(読売・8.16朝刊)
昭和19年9月生まれの僕は終戦の一年前に生まれました
吉浜で食料がなくて芋が主食だとかそんな記憶はありませ
んでしたが白米と、麦の混ざったご飯でした。専業農家で
もなく家で食べるだけの田地はありました。
大地震があって、借家だった家は倒壊し、母の実家、竹村のお寺に移りました。
敗戦の玉音放送は、お寺の聞き取りにくいラジオで聞きました。
5年生になっていましたが、事態がよくのみこめないでいました。
食糧難は、むしろ戦後のほうがひどかったように思い出されます。