雨曇子日記

エイティライフの数々です

8月15日

2012-08-15 19:38:10 | つれづれ
           



平成24年8月15日。
終戦の年から67年たっている。


     


畑の隅にホウセンカが咲いていた。



           



民家の入り口に置かれているものは、先祖の精霊を迎えるための供え物。



           



     



     



     



墓地に、庚申塔に、道端に、同じような供え物がみられる。
お盆の時期に見られる、昔からの風景。
都会暮らしに馴れ、このような風習から疎遠になった私たちだが、どことなく懐かしさを感じる。



           



     



神社の境内にある戦没者の慰霊碑に、お神酒が供えてあるのも終戦記念日に相応しい。


近くにある、もう一つの神社に立ち寄った。



           



     



96戸の村から、108名が戦地におもむき、27名が戦没したことが記されていた。


終戦67年 不戦の誓い

 約310万人に上る戦没者を慰霊する「全国戦没者追悼式」が、
67回目の15日、天皇皇后両陛下をお迎えして、
東京都千代田区の日本武道館で開かれた。

 戦没者の遺族らのほか、野田首相ら各界の代表者も合わせて約6000人が参列し、
戦争犠牲者の冥福を祈った。(読売・8.16朝刊)

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2 コメント

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re-8月15日 (K&K)
2012-08-16 21:24:52
昭和19年は、9歳で、知立国民学校の4年生でした。依佐美の鉄塔がよく見えました。

大地震があって、借家だった家は倒壊し、母の実家、竹村のお寺に移りました。

敗戦の玉音放送は、お寺の聞き取りにくいラジオで聞きました。

5年生になっていましたが、事態がよくのみこめないでいました。

食糧難は、むしろ戦後のほうがひどかったように思い出されます。
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 八月十五日 (  謙三)
2012-08-16 18:55:04

昭和19年9月生まれの僕は終戦の一年前に生まれました

吉浜で食料がなくて芋が主食だとかそんな記憶はありませ

んでしたが白米と、麦の混ざったご飯でした。専業農家で

もなく家で食べるだけの田地はありました。
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