浅間神社二の鳥居の下を通る国道14号(千葉街道)を東に300mほど行ったところに建つ、旧神谷伝兵衛別荘。
神谷伝兵衛(1856~1922・三河生まれ)は、日本のワイン王と言われる明治の実業家。浅草の神谷バー、牛久シャトーの創始者。
この別荘は、大正7年(伝兵衛62歳)に建てられた。
現在は、国登録有形文化財として、千葉市民ギャラリーが管理する。(参観無料)
ワイン王らしく、葡萄の意匠が施されている。
二階は和室。
「床の間の掛け軸は、温故知新 の意味だね」と、Kさんが言った。
国道に出ると、現実に引き戻される。
海は、ずっと先だ。
散策の終わりは、せんげん通りのお蕎麦屋さん。
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僕が上京したころ国道14号線は船橋の街中を
を通過すると幕張、稲毛近辺は14号線沿いに
海でした。松林はいまでも面影はありますね
道沿いにはアサリなどを商いしている店とか
道路で露天商売している人も見られました ね。現職の前写真の仕事を2年ほどしてました
{兄に我がままいいめいわくかけていたころ です}稲毛の浅間神社はお得意【写真館】の
手伝いで七五三と成人式のときは神社の
特別写真スタジオで先生の言うようにポーズ を着けさせ仕事をした記憶があります。
三河の大先輩の事はまったく知りませんでし
た。昨日は梅雨の合間に近くの京成バラ園
にいってきました。
終戦後まで海沿いの道だった14号。大正時代は文字通り白砂青松の美しい風景だったことでしょう。
神谷伝兵衛さんは別荘で余生をゆっくり過ごしたかったのかも知れません。
でも、その後4年しか生きられなかった。
京成バラ園きれいだったでしょうね。