ラーメンと蔵について(続き)
4、喜多方ラーメン
ラーメンで有名ですが、3km四方に、62の店があるそうです。中国から渡ってきた一青年がチャルメラを吹き屋台を引いてラーメン(支那そば)を売り歩いていました。その手作り支那そばこそが70余年の歴史を持つ喜多方ラーメンの元祖と言われています。
店に入ったなら多くの種類のラーメンがあります。迷わず『ラーメン下さい』と言うのがいいそうです。
ひめさゆりの丘と蔵を見て回ったので、昼時を回っていた。案内人の采配で各地に分散され、やっと入ったラーメン屋。11名の多勢で看板娘もチョイト驚いた。幹事さんが取りまとめ役でお金を徴収、お腹が空いていたこともあり、あっという間に汁も残さずかっ込んだ。
醤油ラーメン1丁600円なり。
5、蔵の街
←甲斐家の蔵屋敷
観光地になるまでの喜多方は、古くから地場産業であった味噌・醤油などで使用されていた蔵が、時代の流れの中で地場産業と供にその役割を終え、市街地の中に取り残されました。
昔ながらの座敷蔵、酒蔵、味噌蔵、醤油蔵、漆器蔵、店蔵、農家蔵などなどその数2600余もあると言われます。
この地では昔から「男40にして蔵の一つも建てられないようでは、男でない」とも言われ、蔵を建てることが生涯の夢とされました。
そんなことからも男のロマンで、蔵が多いわけがうなずける。
6、喜多方の蔵がなぜ有名になったか・・・?
役目を終えた蔵が、東京オリンピックを境として、どんどん取り壊されていく運命にあった。「蔵」に一抹の寂しさを感じ、写真を通して喜多方の文化遺産を後世に残そうと、蔵を撮り続けていた地元の写真家がいました。写真荘を経営していた金田実氏(故人)であった。
昭和47年11月に市内で写真展をしたのを皮切りに、あちこちで『喜多方蔵の写真展』を開催しました。
金田氏の写真からは、喜多方という田舎町の市民の生活の中に深く息づいた蔵の姿が感じられ 見る人々に大きな感動を与える事になりました。
昭和50年7月には、NHK総合テレビ「新日本紀行」で、全国に喜多方の蔵が紹介された。変に俗化されない観光地としてクローズアップされだした。 素朴さの残る喜多方市にカンバスやカメラをさげた観光客の姿が見られるようになりました。
7、蔵を見終えて
ちょっと路地裏や、奥まったところに入ると蔵としての役目を終え廃屋同然のものが多い。蔵の町の一環として壊すことに規制があるのか、多額の費用が掛かるのでそのままにしてあるのか、表と裏のアンバランスを感じた。
生産性のない蔵をそのまま維持していくには個人的に経済負担が掛かる。ボランテャの方に尋ねたが確かな返事は返ってこなかった。
8、お土産
生菓子 ラーメン5食入り
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今日のメモ
旅に出て記録がないのが寂しい。
これで何とか格好がついた。
土産はラーメンで締めくくって
OK