ローカル線無人駅(疎)・東京のど真ん中(混)
”停車場”という言葉が、適性を欠くか・・!?
・ 停車場に竹の器や花菖蒲 (縄)
⇩
・ 誰活けし無人の駅に花菖蒲 (縄)
(6月”かめの会”の「兼題は、花菖蒲」です。
そのむかし故郷の無人駅に花が飾られていた、青竹の花瓶に花菖蒲が活けてあった。
そんなことを思い出して詠みました。
今の時代に、停車場という言葉が不釣り合いではないですか!・・?という意見があり
あえて掲載して見ました・・・か?)
・ 無人駅竹の器に花菖蒲 (縄)
⇩
◎ 推敲の結果
誰活けし無人の駅に花菖蒲 (繩)
この方が、過疎感を一層表し雰囲気が出るかな・・・
そして花を誰かが活けた・・・という事を鮮明にした。停車場を外した。
この駅は、秩父線のローカル駅です。昔は無人駅で駅員さんが居なかった。
駅舎の中の待合室に、「青竹の花瓶に、花菖蒲が生けてあった」近所の人が・・・!?
昔は無人駅でしたが、現在はダムが築堤されて観光客の乗り降りが多くなりました。
停車場とは
停車場は駅よりも意味が広く、操車場や信号場など行き違いや待ち合わせなどを含めて列車が発着するところはすべて停車場という。
明治時代に日本に鉄道が導入された際には、今の「駅」にあたるものも含め、列車が止まる場所はみな停車場と名づけられた。
調べて見ましたら、やはり言葉そのものが古いようです。俳句に当てはめるとその人の価値観により違和感を感じることが有るのでしょう。
参 考
書架に文庫本が有りました。
上野駅構内の人混み風景 (PCから転写)
ふるさとは 有り難きかな
ふるさとの/訛(なまり)なつかし/停車場の/人ごみの中に/そを聴きにゆく
明治時代の代表歌人 石川啄木の処女歌集『一握の砂』に収められた一首です。
直訳すれば,故郷の訛(方言)が懐かしくて,駅の人混みの中に方言を話す人がいるかと思って,
それ(方言)を聞きに行く。
当時,上京して東京に住んでいた啄木が故郷の岩手県渋民村を懐かしむ心情を,上野駅の
雑踏を背景に詠んだ歌だと言われています。
コメント欄はopenです。
先日、導線を考えられたという、東京の駅、駅や道路、デパートなどが映りました。前からあるようですが、東京へは何十年も行くことがありません。近くにも無人駅があります。
無人駅、ちょっと寂しいですね。でもそんななかで
生け花があるのはしゃれています。
推敲すればするほど5・7・5がおかしくなります。
よく句会で、第一印象のものが、案外ピタリすることが
有ると言っていましたが、
そんなことも考えられます。
停車場・・・チョイトいにしえの言葉なりました。
≫≫無人駅、ちょっと寂しいですね。
オシャレですか・・・・・・。
1966年に故郷を後にしましたが、その時の駅は石原駅でした。
その当時の印象がそのまま焼き付いていますが、改札口の様子は御記事のこの駅の画とそっくりでした。
あの当時は駅員さんもたくさんいましたね。
それが無人の駅ができるなんて、寂しいことです。
石川啄木は長瀞付近にも来ていたようです。
それは若き日の農事実習か何かで一定期間宿泊研修していたと思いました。
実習の合間には宝登山も岩畳にも足を運んだかもしれませんね。
♬上野は おいらの心の駅だ
挫けちゃな人生が人生が
あの日 ここから始まった・・・
”停車場”にふさわしい演歌でしたよね。
・ ・ 停車場に竹の器や花菖蒲 (縄)
ピンポン、御名答です!!まさしくその通りです。
秩父線「浦山口駅」です。
googleマップを開いてください。
右が橋立川でダムが築堤されました。
左が、橋立川です。此処の奥、橋立川をグングンと登ると武甲山の裏手になります。
此処が我が母校の演習林で広大な面積があります。
林業科を専攻しましたので、ここ浦山口駅には相当回数通い、奥地で作業を致しました。
そんなこんなで「秩父線・浦山口駅」は、脳裏に焼き付いています。
・ 浦山の 小高い丘に 眺めれば
見渡す限り 山々山よ (縄) 、
ドンコさんのような画像はないので、拾い集めてきました。
ハイ、ドンコさんの「花菖蒲祭り」に元気を貰い、只今5・7・5を作詞中です。再来週が句会で
高瀬川の名画を参考にし詠んでいます。
古い奴だとお思いでしょうが・・・・ハイ・・・・・縄文人でゴザンス!!
、
何気なく使ってましたが・・・奥が深い。
写真の無人駅は浦山口・・・最初は業務管理駅、いまは無人駅のようです。
いまは日本全国、中核都市の駅を除いて、業務管理駅or無人衛のようです。
・遠ざかる 尾灯霞んで 無人駅
・旅立ちに 母の見送り 停車場
、
その昔は、よく学校で使いましたが、東京に出てきてからご無沙汰です。
ヒキノさんは、
SLなど撮り鉄で、よく鉄道を使うことでしょうが、そうですか無人駅ですか。
色々参考になりました。有難うございました。