「七重八重花は咲けども山吹の
実の一つだになきぞ悲しき」
ヤマブキは、『万葉集』にも詠まれるなど、古くから観賞されてきました。
太田道灌が農家で蓑を借りようとすると、娘が蓑の代わりにヤマブキの枝を差し出しました。
しかし道灌は「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき」(八重のヤマブキ
は雄しべが花弁に変化し、雌しべも退化したもので、実がならない。
「実の=蓑は一つもありません」)の歌を知らなかったため娘に立腹します。後にその無知を恥じた話は有名です。
さてここで縄文人ハタと困った。
娘が太田道灌に山吹の花を差し出したのは何処(場所)でしょう。
調べていましたら、埼玉(越生)&東京(豊島、面影橋)なる場所がヒットした。
他にも「やまぶきの里」はあるようです。
伝説・逸話は何処で生まれても問題ないと思いますが、
あまりにもあちこちに点在するのでちょいと驚きました。
伝説の地は、一体どこであったのか興味津々で知りたいものです!!
「山吹の里」の碑
山吹の里 ・面影橋.com)
東京都豊島区高田、東京都荒川区町屋、神奈川県横浜市六浦などの伝承地があります。
いかに道灌が江戸庶民に慕われていたかがわかると言えるでしょう。
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