重厚な茅葺屋根、広い屋敷林のある家
(江戸川区春江町2-21-20)
江戸時代の村役人,町役人。郷村では村落の長として村政を統括。
組頭,百姓代と合せて村方三役と呼ばれ,郡奉行や代官の支配を受けた。
名主の呼称は主として関東で行われ,関西では庄屋と称した。
初期には土豪的農民の世襲が多かったが,中期以降は一代限りとなり,惣百姓の入札,推薦によることが多くなった。
ほかに町方で町奉行の支配を受けて町政を担当する名主や牢名主などがあった。
(ブリタニカ百科から出典)
長屋門、主屋については前に紹介しました。
①
外縁を配し天戸、廊下の作り屋根の厚さ
②
中廊下と言うのか?
③
↑ の画像を反対方向から見る。
④
厠・川屋・雪隠・東司・後架…いくつ読める?いろいろあるトイレの 呼び方。
(WC)は廊下続きで離れて外に…。
⑤
裏のお勝手口入口です。裏の屋敷林が続きます。
⑥
西方向から座敷を通して囲炉裏を見る
⑦
囲炉裏の天井、大きなカギがありますが自在鉤(竃)を掛けます。
煙で燻っています。
⑧
⑨
囲炉裏に赤々と火が燃えて、煙が・・・・
⑩
⑪
鍵の手の曲がった屋根、曲り屋のポイント部分。
名主家概略図
名主住宅の鳥瞰図、屋敷林が広いです。
主屋の見取り図
主屋の間取り図
この屋敷は、江戸時代の初めに一之江新田を開発した田島家の住所です。
田島家は元禄年間(1688~1704)以降、一之江新田の名主を務めた。
年貢の取り立て、法令の周知、陽の用心などすべてを取り仕切った。
↑で述べたように町内の権限を一手に握っていた。
(内部の様子についは次回に続きます)
お近くの方は一見に値します。
※参考資料
曲り家(まがりや)は、伝統的家屋(民家)の建築様式のひとつである。
曲家、曲屋、曲り屋、曲がり屋、曲り家、曲がり家などの表記も用いられる。
広義には、長方形平面の直屋(すごや)に対して、L字形平面の家屋をいう。
母屋や馬屋がL字形に一体化していることから、「曲り家」と呼ばれる。
こうした伝統的家屋は全国各地に分布しているが、
「狭義」とされ、また最も広く知られているのが「南部曲り家」である
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