コメント
 
 
 
本能寺 (jane)
2006-10-19 19:04:06
ヒが去る・・・なるほど~。

字を変えることで願掛けしていたんでしょうかね。



それにしても、さすがぱすてるさんは色々と

歴史背景なども加えて、お詳しいですね!

勉強熱心なところに脱帽です。

ガイドさん、出来そうですね?!

 
 
 
こんばんは (くろちゃん)
2006-10-19 21:15:45
実は僕、歴史では織田信長ファンだったんですよ。なので、ここを通るたび、「む、無念。。。」と思います(笑)しかし、ヒが去っていうのは、僕もなるほど~って思いました(^^)
 
 
 
Unknown (おでこ)
2006-10-19 21:37:11
おとといこの前通りました~^^

よってませんが...

直前に錦市場のお餅屋さんで

搗き立て餅の善哉を食べました^^



白味噌のお雑煮とかも冬メニュー

になってありますよ^^



お餅は美味しかったです^^
 
 
 
あの歴史上の (ストーン#(^^))
2006-10-20 01:25:23
本能寺は今現在の本能寺と別の場所にあったとは‥



『敵は本能寺にあり!』と言った明智光秀も反逆者として秀吉公に討取られてしまいましたからね。

光秀の娘は、大阪城下で後に壮絶な死を遂げたあの有名な『細川ガラシャ』となるのだから、明智家は親子して不幸な人生だったのですね。

織田信長公はこなく愛した『敦盛』の有名な一節を本能寺の炎の中で口ずさんだんだのかと思い浮かべたりします。

私も大好きな一節です♪ おそらく信長公と同じ解釈で

『人間五十年

 化転の内に比ぶれば

 夢、幻のごとくなり

 一度 生を受け

 滅ぼせぬもののあるべしや

 滅ぼせぬもののあるべしや

 滅ぼせぬもののあるべきか

 滅ぼせぬもののあるべきか』

だったと思いますが
 
 
 
janeさん (ぱすてる)
2006-10-20 13:38:38
ありがとうございます~janeさん

ブログを始めてから色々と調べるようになり

本当に勉強になります。

京都ではガイドさん向けにも

「京都検定」なるものがあるんですよ~

そのうち受けてみようかな?
 
 
 
くろちゃんさん (ぱすてる)
2006-10-20 13:40:55
おぉ~!くろちゃんさんも信長ファンでしたか。

本能寺さんはあの時に焼けただけではなく

この地に再建されてからも何度となく大火で焼けているところが

信長の無念さが感じられるようでもありますよね。
 
 
 
おでこさん (ぱすてる)
2006-10-20 13:45:31
なんと、おでこさん~通られましたか

それにしても錦さんで撞きたてのお餅の善哉とはたまりませんね~

寒くなってきたので暖かいもの食べたくなりますよね。
 
 
 
ストーン#さん (ぱすてる)
2006-10-20 13:48:11
わぁ~凄いですストーン#さん

これ覚えてらっしゃるのですね。

素晴らしいです

今日は丁度その「敦盛」の熊谷直実の子孫のお店をアップしておきました。

東京銀座のあのお店がそうなんですよ~

ちょっとビックリですよね。
 
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