真夜中のコーヒー2

人生の最終章
 ボケ防止のためにも
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語りつぐ

2022-08-17 18:44:32 | 雑記


                     毒蝮 三太夫氏が「徹子の部屋」で
      小学生低学年の時経験した空襲の話をしていた


     
     戦後77年、当時を知り語り継ぐ人たちが少なく
     なってきたのが語り始めた動機だという


     私には語る記憶がない

                   タダ、後年ある本との出会いで戦争に関心を持ち
     以来 色んな立場の色々な方々の本を読んできた 

     その中から最も忘れられない二冊を上げたいと思う

    これが戦争記憶を持たない私の
           戦争を語り継ぐとします     



    
     ---------------------


    この本との出会いが
      私に戦争に目を向けさせることになりました     

      
   当時、残留孤児の肉親捜しが始まり
    歩くには幼すぎ,かといって赤ん坊ではない
   わが身に置き換えて恐怖を感じ
     戦争の恐ろしさを思い知りました 
      




     上記の本にも2~3行書かれていますが
    当時は詳しいことがわからなかった葛根廟事件

    ブログ「蓬 窓 閑 話 」
      のつゆさんが教えてくれました
        
    
     
昭和20年8月14日 私の学友を含む興安街在住約1200名の非難団が
 この葛根廟を目指して草原を歩いているとき、突如、山腹の陰から14台のソ連
 軍戦車と装甲車が姿を現し、一行に襲いかかった。前夜からの雨で現場には水
 溜りのが多く出来ていた。水のたまったクリーク、麻畑、ソバ畑にはキャタピ
 ラに圧殺された一千名以上の死体が累々と横たわっていた。
  水漬く屍、草むす屍である。」 (付記 子供の戦記より)     
      

       
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