猫と共に余生を穏やかに過ごす

猫との生活記録が主です。
サブでヘルニア闘病記事も有りますが、徐々に趣味の記事へと移っていきます。

ハンター・ザ・つばさ&とある住職について(これもブレインダンプ)

2022-03-10 08:45:01 | 日記

つばさ日記0310朝遅く「ハンター・ザ・つばさ&とある住職について(これもブレインダンプ)」

つばさがようやく出てくる。キャットタワー上。胡坐の上に誘うが来ない。顔のマッサージ。暖房を中程度に落とす。部屋は完全に暖まった。

前の記事の音楽の音量について少しだけ補足する。ご家庭によって、かなりの大音量で各々が好きなものを掛けている。AMラジオが多い。私も時には大音量にする。そのまま庭に出てどれくらい音が漏れているのかチェックする。お隣さんには頻繁に、音楽がどの程度聞こえているかを聞く。寝室が逆側だから大丈夫だと言われる。見ると、お隣さんの家の造りは完全にそうなっていて、私の側はバックヤードだ。つまり、洗濯物を干したり、採った野菜をどうこうする場所である。挨拶を交わす場所でもある。夏冬は閉め切るので音漏れの問題は小さい。春秋は虫が入ろうが何だろうが、ウチは大開放である。大満開ではない。音漏れはある。なお、虫については、今年から強い味方が加わった。もちろんハンター・ザ・つばさである。今の所、心身の回復がまだだが、きっと本能を取り戻してくれるだろう。別記事にする。

つばさが胡坐上に来なかったのも当然だろう。ちゅ~るを待っていたのだから。私の豆腐へのかつおぶしと、草テチかちゅ~の仕上げの「か」は同時振り掛けである。当然、朝ごはんのタイミングで草テチかちゅ~となる。つばさは早食いだった。サブ机上へ。急いで飲む脇から水を足す。草小皿は残り五本なので、霧吹きをして奥へ安定させて保管、次の出番を待つ。サブ水後のつばさがウインナー待機位置に移動。小皿の休息はまだ先だった。小皿に載せて一つ目。その場食べ。一歩前進した。大きさより回数重視で行く。あと二時間早起きしたいと思う。特に夏に向けて。



今朝は醤油を豆腐にかけ過ぎた。醤油は全て飲む。お供は麦菓だ。昔、私が学生だったころ、旭川のある寺に三泊四日滞在させてもらった。共に托鉢に回り、お経を毎日数時間唱えた。掃除もたくさんした。当時の若い私は真剣に取り組んだ。食事はすべて托鉢で得たものだ。豪華な日もあるし、殆んど何もない日もある。その際に住職に言われた言葉を思い出す。食べ物は隅々まで綺麗に食べ切ること。何かのスープも油も全てだ。ウインナー五つ目。いや、六つ目か。もう判らない。他にも影響された部分は多い。私は仏教徒ではない。住職もそれは承知だ。だが強い影響を多く受けた。魚の食べ方が非常に上手だと良く人に言われる。七つ目。当然である。住職の教えである。ご飯粒を残す人を見るといらつく。今の食生活も完全に住職に習った通りだ。数十年後のある日、再びその寺を訪れようとした。ない。風景がおかしい。人に聞くと、道路区画整理があったと。寺は無事。だが道順が全く違った。かつてバイクを置かせてもらった砂利の緩やかな坂道はもうない。最後の日の朝、雨の中、かっぱを着てバイクに荷物を積み込む私と、それを見守る住職。やがて出発。短い別れの言葉。その光景がありありと目に浮かぶ。これが私の旅のスタイルの一部である。一度、ご縁のあった所を再訪し、何かを思い出す、である。八つ目。多すぎ、緊急停止。今回のみ運び食べ。なお、その時は住職は不在だった。ご近所さんに聞くと、半年ほどインドに行っているそうだった。もうかなりのお歳のはず。お元気だろうか。電話でもしてみようか。いや、それは無粋というものだろう。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。