工業高校を卒業して、最初に就職したのは、とある電子部品製造会社だった。その会社は多くのメーカーに向けてのサーモスタットを専門に作っていた会社で、当時、日立のファンヒーターが世に出回っていた時代ということもあって、僕はそこの工場の1ラインの責任者を任されたのだけど、19歳の若僧にはちょっときつく、精神的に身体を壊し、いまの自分からは想像出来ないくらいに痩せ細っていった。
そんな嫌な職場に向かう時も、やはり心を癒してくれたのは、ウォークマンから聞こえる音楽だった。 僕は原付のHONDA・シャリーを使って家から会社までの30分を通っていた。 今から思い起こすと、ウォークマンのヘッドホンはしていたが、ヘルメットはかぶっていなかったぞ!?(--; その頃によく聴いていた曲が「シカゴ16」のアルバムだった。 ヒットしたのは「素直になれなくて」だったが、僕はアルバムの中のこの曲が一番好きだった。 アレンジャーのデヴィッド・フォスターを知ったきっかけもこのアルバムからで、彼のストリングスには何度も泣かされ、何度も勇気づけられたものだ。 しかしラヴソングである歌詞の内容とは何ら関係ないのに、この曲を聴くと今でも「よし!今日もがんばろう!」と思いながら、あの宇野峠の原付バイク越えを思い出すというのも、なんだかおかしな話ではあるが・・・。
そんな嫌な職場に向かう時も、やはり心を癒してくれたのは、ウォークマンから聞こえる音楽だった。 僕は原付のHONDA・シャリーを使って家から会社までの30分を通っていた。 今から思い起こすと、ウォークマンのヘッドホンはしていたが、ヘルメットはかぶっていなかったぞ!?(--; その頃によく聴いていた曲が「シカゴ16」のアルバムだった。 ヒットしたのは「素直になれなくて」だったが、僕はアルバムの中のこの曲が一番好きだった。 アレンジャーのデヴィッド・フォスターを知ったきっかけもこのアルバムからで、彼のストリングスには何度も泣かされ、何度も勇気づけられたものだ。 しかしラヴソングである歌詞の内容とは何ら関係ないのに、この曲を聴くと今でも「よし!今日もがんばろう!」と思いながら、あの宇野峠の原付バイク越えを思い出すというのも、なんだかおかしな話ではあるが・・・。