日付が変われば54歳・・・親父はこの54歳で死んだ。
町内では有名な、大酒飲み三人衆のひとりだった親父は、警察沙汰になる悪いことをあれこれしながら酒の飲み過ぎで肝硬変になり死んでいった。性格的には、祭りのたびに櫓に上っては太鼓を叩いたり、町内の旅行や酒飲み友達との旅先では、ひょうきんに笑いをとる事で好かれていたようだったが、俺のイメージは、毎晩、酒に飲まれて、大声をあげながら家に帰ってきては、叱る母親を蹴り倒したり、暴れたりする親父の姿と、素面で仕事がない日は、布団に寝ころびながら、「いつかこのトタン屋根二間の家を潰して、お前ら兄妹三人の部屋をこしらえたるからな」と言いながら、新聞広告の裏紙に図面を描く親父の姿だ。
つい最近、野外ライブで鈍くさく激しく転んで足を痛めた俺だが、親父も仕事では結構無茶をする性格だったようで、トラックから荷物を担いだまま転倒したり、高所から落ちたりと、骨折や大怪我が絶えない人物だった。
国道169号線を挟んで家の向いは、当時ホルモン焼き屋があって、小学生の俺にキリンビールの味を教えた親父、酔っぱらったまま銭湯に行くもんだから、のぼせて風呂で倒れてるから向いに来てほしいと番台のおばちゃんから何度か電話があったことも・・・
今思い出せば、懐かしいばかりで、最後まで好きな酒を飲んで死んで逝った親父は、さぞかし幸せだったのだろうと周りは言うけど、俺は知っている、抗がん剤で髪の毛がなく、腹水が溜まって意識朦朧とする親父の病床、枕元にあったティッシュペーパーの箱に書かれたいくつもの殴り書きを・・・それは、叫びだった。
俺、二十歳、死んだ親父は五十四歳・・・俺はその歳になろうとしてる。
親父より長生きするからな。
町内では有名な、大酒飲み三人衆のひとりだった親父は、警察沙汰になる悪いことをあれこれしながら酒の飲み過ぎで肝硬変になり死んでいった。性格的には、祭りのたびに櫓に上っては太鼓を叩いたり、町内の旅行や酒飲み友達との旅先では、ひょうきんに笑いをとる事で好かれていたようだったが、俺のイメージは、毎晩、酒に飲まれて、大声をあげながら家に帰ってきては、叱る母親を蹴り倒したり、暴れたりする親父の姿と、素面で仕事がない日は、布団に寝ころびながら、「いつかこのトタン屋根二間の家を潰して、お前ら兄妹三人の部屋をこしらえたるからな」と言いながら、新聞広告の裏紙に図面を描く親父の姿だ。
つい最近、野外ライブで鈍くさく激しく転んで足を痛めた俺だが、親父も仕事では結構無茶をする性格だったようで、トラックから荷物を担いだまま転倒したり、高所から落ちたりと、骨折や大怪我が絶えない人物だった。
国道169号線を挟んで家の向いは、当時ホルモン焼き屋があって、小学生の俺にキリンビールの味を教えた親父、酔っぱらったまま銭湯に行くもんだから、のぼせて風呂で倒れてるから向いに来てほしいと番台のおばちゃんから何度か電話があったことも・・・
今思い出せば、懐かしいばかりで、最後まで好きな酒を飲んで死んで逝った親父は、さぞかし幸せだったのだろうと周りは言うけど、俺は知っている、抗がん剤で髪の毛がなく、腹水が溜まって意識朦朧とする親父の病床、枕元にあったティッシュペーパーの箱に書かれたいくつもの殴り書きを・・・それは、叫びだった。
俺、二十歳、死んだ親父は五十四歳・・・俺はその歳になろうとしてる。
親父より長生きするからな。