長女Shihoが独り暮らしを始めるというので、いろんな知人からの情報をもとに、埼玉県の北浦和駅前の不動産屋まで初めての夜行バス体験とともに行ってきた。
JR奈良駅東口から21時15分発のJR高速バス「青春エコドリーム号」に乗車、バスタ新宿に翌朝6時すぎ到着。
さてさて、予約いれてる不動産屋は10:00開店、それまで何するんだ?ってことで、とりあえず早朝から開いてたマクドナルドでモーニング、そして不動産屋を確認して待ち時間にまたミスタードーナッツで時間つぶし。
10:00開店とともにあらかじめ相談しておいた担当者に会い、数件の物件を一緒に回りながら、昼の2時前には物件を決めて店を出た。
街としては、子供連れの女性が多くみられ、治安的にも良さそうな場所であり、女性の独り暮らしにもお勧めだと店の担当者も言ってたので一安心かな。なんせ、駅から徒歩数分はありがたいだろう。
最低必要家電はリサイクルでいこうと、リサイクルショップの下見兼ねて少し街周辺を歩いた後、新宿まで戻り、ガストでかき氷を食べて猛暑をしのぎ、東急ハンズでウインドショッピングしながら腹を空かせ、居酒屋で飯をたらふく食った後は、二十歳の娘の社会勉強?ということでパチンコ店に入った。 厳密に言うと娘は初体験じゃなく、昔、俺の膝に乗っかったまま一緒に「ガメラ」のパチンコ台を打ったことがあるんだけどね、本人覚えておらず(苦笑)
結果は大儲けじゃないけど、二人ともちゃんと勝って店を出たが帰りのバスまでまだ2時間もある・・・どうしょうかと新宿アルタ前から歌舞伎町あたりをブラブラしながら時間を潰した。
普段、殆ど家では会話しない娘と、今回は結構会話する時間がとれた。 特にそれとなく聞き取り調査の如く「つきあってる彼氏情報」は貴重なものだ(笑)
この引っ越し計画に当たり前のことだけど、ちゃんとそれなりに貯蓄していた娘。 まだまだ世間知らずではあるが、理解しようとしている姿を見て感じて、オヤジは何度も驚かされた。
「自分の夢が例え叶わなかったとしても、失敗した経験は絶対に無駄じゃないし、この街に住むことになった理由より意味ってものが、その後解るときが必ず来るからな。」そんな話を娘にすると「それはよく解ってる」とのこと。
そんな会話をしながら自分の二十歳の頃を思い浮かべていた。
ただでさえ借金まみれのボロ屋、トタン屋根二間に育ち、酒に逃げ酒に溺れて54歳、若くして親父が死んだのが俺、二十歳の夏。
葬式代になるべく保険金はゼロ、それよりか米屋をはじめあらゆるところに借金を残したまま親父は死んだもんだから、二十歳の俺はとりあえず自分がどうかしなきゃならんと会社に頭を下げ葬式代を工面した。
母親は学校もろくに通わせてもらえなかったこともあってか、漢字すら書けない、世間知らずの頭だったこともあり、喪主としての俺が当初、近所から親戚縁者の世話、役所の手続きを済ませたんだ。
それが俺の二十歳の夏だった。
「お母さんは今回の独り暮らしについて、どう言うてるん?」と訊くと、「早く家を出て行けって・・・みんなそうやって頭打ちながら覚えていくんやからって。」
妻も同じく、16歳から看護師を目指して寮に独り暮らし、19歳で俺と出会い24歳で結婚。 そんな妻だから今回の娘の件については一切構わず、援助もなし。
Shiho、がんばれよ。 おまえなら何でも出来る。
JR奈良駅東口から21時15分発のJR高速バス「青春エコドリーム号」に乗車、バスタ新宿に翌朝6時すぎ到着。
さてさて、予約いれてる不動産屋は10:00開店、それまで何するんだ?ってことで、とりあえず早朝から開いてたマクドナルドでモーニング、そして不動産屋を確認して待ち時間にまたミスタードーナッツで時間つぶし。
10:00開店とともにあらかじめ相談しておいた担当者に会い、数件の物件を一緒に回りながら、昼の2時前には物件を決めて店を出た。
街としては、子供連れの女性が多くみられ、治安的にも良さそうな場所であり、女性の独り暮らしにもお勧めだと店の担当者も言ってたので一安心かな。なんせ、駅から徒歩数分はありがたいだろう。
最低必要家電はリサイクルでいこうと、リサイクルショップの下見兼ねて少し街周辺を歩いた後、新宿まで戻り、ガストでかき氷を食べて猛暑をしのぎ、東急ハンズでウインドショッピングしながら腹を空かせ、居酒屋で飯をたらふく食った後は、二十歳の娘の社会勉強?ということでパチンコ店に入った。 厳密に言うと娘は初体験じゃなく、昔、俺の膝に乗っかったまま一緒に「ガメラ」のパチンコ台を打ったことがあるんだけどね、本人覚えておらず(苦笑)
結果は大儲けじゃないけど、二人ともちゃんと勝って店を出たが帰りのバスまでまだ2時間もある・・・どうしょうかと新宿アルタ前から歌舞伎町あたりをブラブラしながら時間を潰した。
普段、殆ど家では会話しない娘と、今回は結構会話する時間がとれた。 特にそれとなく聞き取り調査の如く「つきあってる彼氏情報」は貴重なものだ(笑)
この引っ越し計画に当たり前のことだけど、ちゃんとそれなりに貯蓄していた娘。 まだまだ世間知らずではあるが、理解しようとしている姿を見て感じて、オヤジは何度も驚かされた。
「自分の夢が例え叶わなかったとしても、失敗した経験は絶対に無駄じゃないし、この街に住むことになった理由より意味ってものが、その後解るときが必ず来るからな。」そんな話を娘にすると「それはよく解ってる」とのこと。
そんな会話をしながら自分の二十歳の頃を思い浮かべていた。
ただでさえ借金まみれのボロ屋、トタン屋根二間に育ち、酒に逃げ酒に溺れて54歳、若くして親父が死んだのが俺、二十歳の夏。
葬式代になるべく保険金はゼロ、それよりか米屋をはじめあらゆるところに借金を残したまま親父は死んだもんだから、二十歳の俺はとりあえず自分がどうかしなきゃならんと会社に頭を下げ葬式代を工面した。
母親は学校もろくに通わせてもらえなかったこともあってか、漢字すら書けない、世間知らずの頭だったこともあり、喪主としての俺が当初、近所から親戚縁者の世話、役所の手続きを済ませたんだ。
それが俺の二十歳の夏だった。
「お母さんは今回の独り暮らしについて、どう言うてるん?」と訊くと、「早く家を出て行けって・・・みんなそうやって頭打ちながら覚えていくんやからって。」
妻も同じく、16歳から看護師を目指して寮に独り暮らし、19歳で俺と出会い24歳で結婚。 そんな妻だから今回の娘の件については一切構わず、援助もなし。
Shiho、がんばれよ。 おまえなら何でも出来る。