年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

樽 中国と朝鮮

2006年02月03日 | タクワン
樽と司馬遼太郎氏の考え
樽と鉋(かんな)
紹興酒の醸造・・日本酒の場合のように樽や桶をつかうことをしないですべて、硬質の陶器・磁器であった。
中国には、馬桶(まーとん)」という樽のようなおまるを室内に置き、そこで用をたす桶がふるくからあるが、日本のように巨大な桶・樽はない・江戸期の経済に大きな活力をあたえた大型桶・樽が日本酒の歴史にも重要なかかわりをもつのだが、ただ桶・樽の製造を可能にしたのは、鉋の出現である。
 上代以来、材木を手斧(ちょうな)や槍鉋(やりかんな)といわれるもので面を平らかにした。鉋(台鉋)が出現してはじめて面を鏡のようにすることができ、かつ幾何学的な細工をも可能にしたのである。台鉋は、室町時代に中国から伝来したといわれる。
江戸初期は、桶・樽の職人は鉋なしに一寸のしごともできなかった。紹興の酒造工場の構内を歩いていて、酒そのものよりも、酒を醸したり貯蔵したりする容器のほうに中国と日本の文化のちがいをかんじたり、さらには文化というものの交流がとほうもなく玄妙な働きをすることにおかしみを感じた。
(「街道をゆく―中国・江南のみち」全集58)
韓国ドラマ チャングムの誓いより 
16世紀初頭の朝鮮王朝時代を舞台に、実在の医女チャングム(長今)をモデルにして描かれた韓国の時代劇。料理の時に甕・壷しか出てきません。今韓国に行くと、昔より随分減りましたがキムチを漬けたカメが屋上等の日陰にあるのが見えます。日本では常滑焼の陶器がヌカ味噌漬けの容器として売られているくらいです。
中国・朝鮮は甕・壷の食文化で日本はスギの木の樽の食文化と言ってよい。

コメント
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