年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

こだわりの塩物語2

2006年02月10日 | 宅老のグチ
日本は塩の資源に恵まれていませんので海水から塩をつくってきました。ただ、海水の塩分濃度はたった3%で、日本は雨が多く、晴天を利用して結晶させにくく、煮つめるしかなった。そのため、海水をそのまま煮つめるのではなく、濃縮してから煮つめるという効率のよい方法で塩づくりが行なわれてきました。
最初は天日で乾いた海水の塩を取っていたが、次第に土器に海水を入れて煮つめて塩を取り出したと思われる。
弥生時代になると、製塩方法として藻塩焼きと呼ばれる方法がありました。『万葉集』等に「藻塩焼く」などと表現されているところからこう呼ばれています。しかし、その実態は明らかではなく、
① 藻を焼き、その灰を海水で固め灰塩を作る。
② 灰塩に海水を注ぎ、かん水(こい塩水)を採る
③ 藻を積み重ね、上から海水を注ぎ、かん水を得て、これを煮つめる。
等の諸説があります。

こうして得られた塩は貴重なものでした。江戸時代以前は塩水を捨てることはしないで活用を考えていました。味噌つくりで染み出た溜まりから醤油が作られました。大根の塩漬に稲わら(定心坊)や糠が使われたのもある意味があったと思われます。稲わらに塩分を吸収させ、燃やして塩分を取ろうとしたのでしょうか?
糠は味噌の増量剤として,汁として飲まれたと言われてます。(江戸時代・ぬか味噌は調味料)伊豆諸島で造られているクサヤはつけ汁の塩水を捨てないで発酵した液です。漬物のつけ汁を発酵させると悪臭になるので、その前に食することにしたのでしょうか。このようなのは文献に出てきません。あまりにも当たり前の節約方法なのでしょう。
塩は日本人が農耕生活に変わり、穀物主体の食生活に変化した頃から塩づくりが始まったのではないかと言われています。穀物主体の食生活になると、植物に多く含まれているカリウムが体に多く入ります。人間の身体は、余分になったカリウムを体外に出す時、ナトリウムを必要とします。すると次第に 身体はナトリウム不足となり、自然に塩(塩化ナトリウム)を要求するようになります。
ナトリウムとカリウムは共に血球・細胞の内液に多く含まれていて、細胞内の浸透圧の保持 酸アルカリ平衡の保持に重要な働きをしています
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする