沢庵漬の歴史から、日本の食の歴史を探ってみよう。沢庵漬の名前は一般に江戸時代始めに活躍した禅僧 沢庵に由来しているが沢庵禅師の時代の前にすでにあって、干した大根を漬けて百本漬(香の物)などといわれていた。
米糠の歴史を見てみよう。戦国時代以前は米を精米しても玄米に近く、平和な江戸時代中期に米が余り、精米技術の発達により、江戸、大阪、京都に白米食が普及した。従って、米糠が白米食の普及によって、大量に発生し始めたのは、江戸時代中期以後のことであり、沢庵禅師の生きている時代は精米率の低い、つまり玄米に近いものが食されていた。従って、沢庵禅師の作っていた貯え漬けの糠は白米から発生したものでないと思われる。しかし、糠は米を精米して発生するものであるから、どこから発生したのを使用したのだろうか?日本酒の歴史によると、室町時代に日本酒の技術革新があり、酒の製造に必要な麹と掛米が精米(当時は精米率は低く、今の白米に近い、精米率92%ぐらい)された。諸白酒の誕生である。これが今の日本酒の源である。この諸白酒は奈良の菩提山正暦寺で創製された。僧坊酒といわれて、寺院で製造された酒である。日本の寺院では禁酒の戒律があったはずである。室町時代後期の京都五山の禅僧らは酒宴にひたり、貴族化した僧侶のまえでは禁酒の戒めはあくまでも建前にすぎなかった。寺院酒造の起源は,10~11世紀の神仏混交時代に、寺院の中にある神社に献上した神酒づくりに求めることができる。中世の寺院は、荘園からの貢納米,清浄な水、僧坊の人の労力などが豊富にあった。そこで、寺院は自己財源を確保するため、自家用の酒の範囲を超えて,利潤を目的とした酒を製造し始めた。この中心となった寺院は当時の消費都市である、京都や奈良に近接した寺院であった。代表的な寺院は奈良にある興福寺で春日大社に献納するため、酒造りをしていた。また、同時期に中国か朝鮮から樽や桶を大型化するに必要な道具が渡来した。酒造容器は壷,甕(かめ)から樽,桶へ移り、大型化するに従って、諸白酒は当然仕込み単位が大きくなり、大量生産になっていった。当然、諸白するには精米するので米糠が同時に大量発生したと思われる。
沢庵禅師が大徳寺派の堺の南宗寺にいた時、酒造の副産物の糠と酒の輸送の空樽を使用して、干しダイコンと瀬戸内から運ばれた塩を使い、堺周辺の人々によって作られた漬物を知っていたとしても不思議ではない。現在、中国や朝鮮に糠を使った漬物はなく、中国から臨済禅と共に伝わったのは茶,饅頭、臼で、沢庵漬は伝わってなく、当時あった塩漬の大根漬けを工夫して、だいこんを干し、糠と塩で漬け込み,重石をして沢庵漬(百本漬、香こう、香の物等)となったと思われる。
米糠の歴史を見てみよう。戦国時代以前は米を精米しても玄米に近く、平和な江戸時代中期に米が余り、精米技術の発達により、江戸、大阪、京都に白米食が普及した。従って、米糠が白米食の普及によって、大量に発生し始めたのは、江戸時代中期以後のことであり、沢庵禅師の生きている時代は精米率の低い、つまり玄米に近いものが食されていた。従って、沢庵禅師の作っていた貯え漬けの糠は白米から発生したものでないと思われる。しかし、糠は米を精米して発生するものであるから、どこから発生したのを使用したのだろうか?日本酒の歴史によると、室町時代に日本酒の技術革新があり、酒の製造に必要な麹と掛米が精米(当時は精米率は低く、今の白米に近い、精米率92%ぐらい)された。諸白酒の誕生である。これが今の日本酒の源である。この諸白酒は奈良の菩提山正暦寺で創製された。僧坊酒といわれて、寺院で製造された酒である。日本の寺院では禁酒の戒律があったはずである。室町時代後期の京都五山の禅僧らは酒宴にひたり、貴族化した僧侶のまえでは禁酒の戒めはあくまでも建前にすぎなかった。寺院酒造の起源は,10~11世紀の神仏混交時代に、寺院の中にある神社に献上した神酒づくりに求めることができる。中世の寺院は、荘園からの貢納米,清浄な水、僧坊の人の労力などが豊富にあった。そこで、寺院は自己財源を確保するため、自家用の酒の範囲を超えて,利潤を目的とした酒を製造し始めた。この中心となった寺院は当時の消費都市である、京都や奈良に近接した寺院であった。代表的な寺院は奈良にある興福寺で春日大社に献納するため、酒造りをしていた。また、同時期に中国か朝鮮から樽や桶を大型化するに必要な道具が渡来した。酒造容器は壷,甕(かめ)から樽,桶へ移り、大型化するに従って、諸白酒は当然仕込み単位が大きくなり、大量生産になっていった。当然、諸白するには精米するので米糠が同時に大量発生したと思われる。
沢庵禅師が大徳寺派の堺の南宗寺にいた時、酒造の副産物の糠と酒の輸送の空樽を使用して、干しダイコンと瀬戸内から運ばれた塩を使い、堺周辺の人々によって作られた漬物を知っていたとしても不思議ではない。現在、中国や朝鮮に糠を使った漬物はなく、中国から臨済禅と共に伝わったのは茶,饅頭、臼で、沢庵漬は伝わってなく、当時あった塩漬の大根漬けを工夫して、だいこんを干し、糠と塩で漬け込み,重石をして沢庵漬(百本漬、香こう、香の物等)となったと思われる。