江戸で青物市(野菜の市)が立ったのは、家康が江戸へ入って間もなくの頃だったといわれます。東京都の青物(やさい)市場の由来について石碑に記されています。それによれば、近在の百姓たちが土付きの大根、人参、芋類を持って来て市が立ち、それがのちに青物・土物市場になったといいます。江戸の都市を作る人のために自然と市が発生しました。ほとんどの野菜類は舟運で川から堀川を通って運ばれました。江戸城より西のほうは船の便がありませんから、馬・荷車や大八車で運ばれました。こうした野菜に不可欠な肥料も、市街地の近くや舟運に恵まれた東部や北部ではおもに江戸の下肥(糞尿)を、陸路に頼る西部ではおもに刈敷き(落ち葉)など米糠や干鰯(いわし)が用いられていました。このようにして江戸に生鮮農産物を供給し、江戸から下肥をはじめ各種の肥料を持ちかえる近郊農業地帯が、時代とともに形成されてきたのです。葉物(こまつな・なす)の野菜はその商品としての性格から12キロから16キロメートルが輸送の限界でした。今でいう、人間が足で歩ける身近なところ(三里四方、四里四方)のところで生産されたものを食べていました。土物の野菜は日持ちがよく、さらに遠い郊外から江戸にやってきました。大根は葉物と土物の中間の野菜でした。生でよし、干し大根にしてもよし、漬けてもよい便利な野菜でした。ただ、大根はその大きさからたくさんの肥料が必要でした。また、江戸時代の多くの葉物野菜(漬け菜と称する)は生でも漬けても良い野菜がほとんどでした。
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