年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

築地市場 移転問題の記憶 4

2007年04月06日 | 築地市場にて
温度差
築地市場内を巡回している銀行の人(築地では銀行員にスーツに長靴の人も)や生命保険のおばちゃんの話では青果部の状況と水産部の状況は異なり、青果部は殆ど終わってしまっていて、水産部は何にも決まっていなくて都に押しきられているように思われる。その差は青果部には荷受が一社しかなく、ライバルの大田市場に食の安全・安心で負けているので揉めている状況ではなく、またまとめ役がいるので結論の出方が早く都も交渉が簡単だっただろう。しかし水産は荷受が7社もあるしライバルの市場もなく、まとめ役も無く一任ということにはならないだろう。そんな時にダイオキシン問題が出てきた。外部から見れば面白いだろうがどうも本質の議論が消えそうである。
 本質の議論とは設備と使用料のことである。まだ幾らになるか都の人も概算でも出せないといっている。卸売市場が出来たのは大正時代の米騒動で物価騰貴を抑制するためであって、新市場の使用料が高騰して魚の値段が高くなっては中央卸売市場の役割が果たせなく、民間に任せたほうが良くなってしまうのではないだろうか。
コメント
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