年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

将軍家御典医の娘が語る江戸の面影2 安藤優一郎著を読む

2008年12月28日 | 福神漬
将軍家御典医の娘が語る江戸の面影2 安藤優一郎著を読む
明治の御一新後徳川場幕府の体制に属していた人達は転職することとなる。明治政府に行く者もあったが多くは転職に失敗して苦難の人生となった。
 桂川家に出入りしていた柳河春三、福沢諭吉等の人々がいた。柳川春三は『中外新聞』という日本人による最初の新聞を発行した。『中外新聞』の成功で次々と模倣した新聞が発行された。
リーマンの破綻から急速に失業問題が広がっていますが明治になって徳川の家臣は静岡に行った人達以外は仕事を変えねばなりませんでした。また静岡に行った人も人数が多く食うにも困る状態だった。しかし沼津兵学校の卒業生などは後に明治政府で活躍しました。
江戸に残った旧幕府の知識人は新政府に入ったり、商売を始めたりしたが、特に浅草周辺に集まった人達は反新政府の人達が多かった。そのような人達が新聞を発行し、左幕的論調で明治新政府(薩長で支配されている)を批判していてしばしば発行禁止となったいた。福神漬の名前を付けた戯作者梅亭金鵞は後に團團珍聞の主筆として活躍し政府を風刺していた。
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