年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

電車の吊り広告

2008年12月30日 | 福神漬
電車の吊り広告
電車の吊り広告を眺めていたら、吉村昭著『 彰義隊』の広告に戊辰戦争でたった一人朝敵となった皇族がいたとあった。上野寛永寺の輪王寺宮のことだが、一日で終わった戦争のためあまり知られておらず、地元の人でも落ち武者の話しか知られていないだろう。
 上野の戦争の時。寛永寺の管主は輪王寺宮で元皇族でもあった。僧籍であったが最後の将軍が江戸城を出て寛永寺で謹慎することから彼の人生が変ってしまった。
 西軍(京都方)の理不尽な要求に対して抵抗をしようとした武士が彰義隊を結成し、最初は寛永寺での将軍警護と言う目的から江戸市中警護と言う仕事に変化し、西軍と衝突しさらに水戸に将軍が移動すると、寛永寺守護が目的となってしまった。
 福神漬の創られる以前の歴史が福神漬の歴史の前提となっていて、彰義隊の歴史がなければ多分福神漬はその名称はなく単なる七目醤油漬とかの名前になっただろう。
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