日本文壇史 2 伊藤整著
明治の20年頃からの江戸の戯作者から新文学創始者の苦闘の歴史が書いてある本。明治19年坪内逍遥が『内地雑居の夢』という政治・社会小説を書いた。大隈重信の政治活動をモデルにして条約改正したら横浜や築地の居留地が廃止され、外国人と日本人が共に住むようになれば将来の日本が変るだろうという空想を書いた小説であった。この小説は大隈の周辺からのクレームで連載が中断された。大隈重信の遭難前のことである。
明治20年代の反欧風化は反内地雑居を意味していて坪内が小説を書いていたとき頃から始まっていたのだろうか。明治20年代の条約改正反対運動が外国製の食品のニセモノ食品の取締を躊躇させ、食品不正をはびこらせたのはこの影響があったとは今では誰も考えないだろう。
明治20年頃から根岸に集まった人たちがその生活の糧を新聞に置きつつ小説を発表していった過程が描かれている。戦後まで生きていた鶯亭金升も明治23年の番付に(亭)のところに二葉亭四迷と同じところに作家として番付に掲載されている。
明治の20年頃からの江戸の戯作者から新文学創始者の苦闘の歴史が書いてある本。明治19年坪内逍遥が『内地雑居の夢』という政治・社会小説を書いた。大隈重信の政治活動をモデルにして条約改正したら横浜や築地の居留地が廃止され、外国人と日本人が共に住むようになれば将来の日本が変るだろうという空想を書いた小説であった。この小説は大隈の周辺からのクレームで連載が中断された。大隈重信の遭難前のことである。
明治20年代の反欧風化は反内地雑居を意味していて坪内が小説を書いていたとき頃から始まっていたのだろうか。明治20年代の条約改正反対運動が外国製の食品のニセモノ食品の取締を躊躇させ、食品不正をはびこらせたのはこの影響があったとは今では誰も考えないだろう。
明治20年頃から根岸に集まった人たちがその生活の糧を新聞に置きつつ小説を発表していった過程が描かれている。戦後まで生きていた鶯亭金升も明治23年の番付に(亭)のところに二葉亭四迷と同じところに作家として番付に掲載されている。