年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

鉄道錦絵

2009年03月23日 | 福神漬
鉄道錦絵
東京名所 上野山下鉄道会社蒸気車発車之図
上野山下は現在の上野駅不忍口あたりで、見世物屋や水茶屋などが100軒程軒を連ねる繁華街でした。交通科学博物館の所蔵の錦絵です。明治20年頃の絵でした。
上野の山とよく言いますが山とは思えないくらい高さで東叡山寛永寺のことを山といったのではないのでしょうか。その山の下に今の上野駅があります。
下谷車坂六軒町という町がありました。今の上野駅の東側のところです。そこで慶應4年4月5日(新暦4月27日)幕臣の子として内田魯庵が生まれました。旧暦の5月15日に上野戦争がありました。
 福神漬の成立の周囲を探ってゆく上野戦争の影響が出てきます。池之端で育った福神漬はその影響を受けないことは出来なかったと思われます。

今でも上野広小路は繁華街でしたが当時も水茶屋というものがあって今風に例えると美人喫茶でしょう。桜の花見の客が昔から多かったようでした。

コメント
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