年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

福神漬物語 49

2010年01月01日 | 福神漬
中村草田男が昭和11年に出した句集に『降る雪や明治は遠くなりにけり』というのがある。明治が終わって25年の歳月が経った頃である。今年は平成22年なので昭和天皇の23回忌となるのか。そろそろ色々な過去の話が解禁されるころになるのでしょうか。

懐旧の情
明治23年5月30日東京朝日新聞 劇評から
この朝日新聞の劇評をしていた竹の舎主人とは根岸党の饗庭篁村(あえば こうそん)です。根岸党は下谷根岸に集まった不思議な文化集団で根岸を中心に活動していた。根岸党は、文学的な一派というよりは、むしろ、文人たちによる「サロン」という趣が強かったといわれる。福神漬の引札を刷っていた鶯亭金升は紹介者として関係していた。根岸党の人達は歌舞伎関係に詳しかったという。『敗者』の精神史山口昌男著486頁から489頁

上野戦争から23年も経ってようやく語られるようになったのか『劇評』として当時の江戸市民の話が出てくる。しかし劇評は饗庭篁村の事件への想いのように思える。
『(菊五郎)上野のご恩を深く想い官軍嫌いの様子は上手いものだ。評者が知っている髪結いもその頃は無類の上野方にて戦争が夜に入ったならば官軍を襲おうと密かに竹やりを隠して同志と共に死を決して夜を来るのを待っていた。下谷辺のあたりの人は自然にこのような気分であった。』

上野戦争は幕臣と江戸っ子の一矢報いようとする秘かな想いを大村益次郎の巧みな戦術に負け、歴史の中に埋もれてしまった。しかしご当地の人々には記憶に残り伝えられてゆくことになる。福神漬はその店名や中味からご当地の食べ物となってゆくことになる。
コメント
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