天保14年3月12日
戸田氏栄は吹上で不祥事を起こし,謹慎となる。
天保14年4月3日
戸田が謹慎を解かれる。
天保14年6月17日
井関家の家刀自(主婦)の兄が印旛沼工事の目付として決まる。難工事で金がかかると噂が出ている。
天保14年6月26日
戸田氏栄が印旛沼工事に向うので秋まで江戸に帰れないと告げる。一般民衆は無駄な工事と語り合っているという。
天保14年閏9月13日
水野忠邦が老中を解任される。その夜江戸市民が水野の屋敷に投石を行う。
天保14年閏9月20日
戸田氏栄が井関家を訪れたので、印旛沼工事のことを聞く。
戸田が語ったのはケド土を掘るのが難工事で掘っても掘っても水が湧き出し元に戻ってしまう。御普請の手伝いの国は財政が破綻するという心配を始め出したので、江戸に戻って、水野忠邦に報告したところ、水野は家人を遣わし再度調べると申したので、戸田は上様の目付として印旛沼工事に派遣されていたのに、また人を使わすということはいかがなことかと言うと左遷された。今の水野忠邦老中解任騒動では既に左遷されていたので運よく悪評判から逃れている。
天保14年11月8日
隆子と家刀自は駿河町奉行として赴任する戸田氏栄家を訪問し。和歌を交換した。
この様な経歴の戸田氏栄をどうして異国船が頻繁に接近して来ているのを知りつつ、浦賀奉行に抜擢したのだろうか。