年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

142年前の6月25日

2011年06月26日 | 福神漬
旧暦明治2年5月15日は新暦6月25日にあたります。142年前のこの日に戊辰戦争の最後の戦いである函館千代が岳で最後の戦闘がありました。ペリーが浦賀にやってきた時、黒船に乗り込んで交渉した浦賀与力中島三郎助が息子二人と共に千代が岳で戦死した日です。この時の戦闘で多くの旧幕軍の武士が脱落する中で浦賀から来た人達は脱落する人も少なく、討ち死にしました。またこの戦闘で12名から14名の町人と思われる人物も死去しています。大部分の町人は仙台からやって来た額兵隊・見国隊と共に函館にやってきたと思われます。『浦賀奉行与力同心衆』多々良四郎著では3名の町人(喜兵衛・重助・牧蔵)が所属不明として戦死者のリストに載っています。喜兵衛はそのうちの一人です。石井研堂の著書『明治事物起源』の缶詰の始まりに出てくる千葉行徳の漬物商人喜兵衛と同一人物と思われます。日暮里浄光寺にある福神漬顕彰碑の裏面にある山田箕之助は喜兵衛の親族です。
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