年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

小西利右衛門の謎

2011年10月05日 | 福神漬
小西利右衛門の謎
三菱における土地投資と土地経営 鷲崎俊太郎 三菱資料館論集
明治3年末。三菱が東京店を京橋区南茅場町18に開設した際、町人喜川田儀八と言う記録がある。「三菱社誌」
 中央区京橋図書館郷土資料室にある明治6年の地図には南茅場町18のところには小西利右衛門と記載されていて、224坪6合8勺8方、700円と記載されている同じく南茅場町17は河村太郎兵衛92坪、南茅場町19は林 153坪。南茅場町20は93坪。21は283坪で永岡の名前となっている。後に三菱は南茅場町17から21の土地を利用していた。明治18年日本郵船が発足した時、南茅場町18が本社となった。
 明治初期はまだ江戸時代の不動産慣習が残っていたので地図に記載されていた金額は今の固定資産税の金額と思われる。
岩崎弥太郎伝では南茅場町18の土地は小西惣兵衛から購入したとなっている。南茅場町の小西は兵庫県伊丹の小西酒造の人と思われる。江戸における新川・茅場町地区は江戸での下り酒の到着地点だった。
 町人喜川田儀八と小西と三菱の関係はどうなっていたのだろうか。同じ南茅場町に福島事件で浮世絵、神田須田町で配布した原胤昭の住居があり、ほぼ同時期とも言える頃に福島事件被告人花香恭次郎が南茅場町のどこかの商家に勤めていた。三菱東京店(当時は三ッ川商会)の店員と花香恭次郎との接触はなかったといえるのだろうか。ここまで来ると小説家の世界となる。
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