日比谷線広尾駅を降りて都立中央図書館に向かう途中、建て替え工事中のスーパーを見つつ、坂の標識を見ていた。南部坂という。南部藩が坂名の由来だと言う。前からあったのだが目に入らなかったのは福神漬調査に縁がないと思っていたからだろう。ところが今では鈴木舎定、太田愛人、高島嘉右衛門等の資料から袖が触れる程度の縁がありそうな気がしてきた。そんな意識が標識の記憶となったのだろう。
南部藩と高島嘉右衛門との関係がなければ多分戸田欽堂、原胤昭、鈴木舎定等の築地バンドといわれる人たちも違った形となっただろう。
図書館の帰り道にバイクの留め置き禁止の看板があった。磯野不動産とあった。そういえば明治屋ストアーの創業者磯野計はこの広尾に住んでいた。当然三菱グループなので角地の銀行は三菱東京UFJ銀行となる。暇に任せて広尾2丁目の東北寺へ向かう。ここに下曽根金三郎の墓があるという。広大な墓地でカメラが電池切れで次回にまわすことにして恵比寿駅まで歩く。暑い25度Cだった。