年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

ダービーの後は有馬記念となった。

2012年05月29日 | 福神漬

日曜日のダービーのあと過去のブログをチェックしていたところ、あるブログにコピーされ評論されていた。どうやら戸田伊豆守氏栄・鶯亭金升の子孫の方だった。仮名として7月7日生まれだから7サンとしよう。この7サンはどうやらテレビドラマ『仁』を見ていたとき検索に福神漬物語を見つけ、自分の祖先の話だとパクっタらしい。
 そんな訳で内容を見ていると親族の会合で有馬記念の話が出てきた。馬券を買うことはないが親族の一人が北海道で競走馬を生産してところに勤めているので気晴らしに有馬記念の本を借り出した。
恋と伯爵と大正デモクラシー-有馬頼寧日記1919 山本一生著
出だしからびっくりした。序章の書き出しに一人の女性を探していた。名前は『八重ちゃん』という。大正8年頃の御殿場のハンセン病の病院にいたという。もしかして神山復生病院のことではないかと読み進めると的中した。井深八重だった。2年ほど前、福神漬の醤油のエピソードでサッカリン問題を書いた。伊藤博文がハルピンで暗殺された頃から大阪の日本醤油醸造株式会社のサッカリン混入問題が露見し、翌年工場火災で倒産となってしまった。この会社の株券の問題等で二つの株券を担保として融資する銀行が経営危機となった。もちろんそこには日露戦争後の不況ということもあった。東京では兜町の帝国商業銀行(馬越恭平・浅田正文)大阪では北浜銀行(岩下清周)だった。岩下は投獄され余生を富士山麓で過ごした。彼の長男である岩下壮一は6代目の神山復生病院の院長で井深八重は初代の看護婦長だった。
 福神漬の資料調査でこのような結びつきがあるとは想定していなかった。井深八重は有馬頼寧の愛人の相談役であったようだ。また有馬の正妻は上野戦争の輪王寺宮(維新後北白川宮)次女であった。ここでも福神漬の地縁が出てくる。
 著者の山本一生さんの資料調査の跡を見ると福神漬の資料調査の跡と不思議と重なる。都立中央図書館は当然として神山復生病院・千葉県佐原市(今は香取市)中央図書館郷土資料室など同じところで調べている。私は佐倉で花香恭次郎を追いかけていた。
 7サンありがとう。こんな展開となるとは予想もできず、ダービーの後は有馬記念となる。
コメント (1)
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