石井研堂の評伝を読んでいて気になっていたことを確認するため読んだ。御代田豊という人物が市史に出てくる。この人は教育者で石井研堂を育てた人物で開成社にも関係してくる。
明治天皇が東北視察で郡山開成社に宿泊した時、石井研堂は小学生で行事に参加していたという。なぜこのようなことが石井の評伝で重きをおいていたか不思議だったが福神漬を調べることと関係ないと無視していた。石井の著書『明治事物起源』で自由民権運動『福島事件』の扱いが無視していた理由が郡山市史でようやく理解が出来た。当時の郡山周辺の人々は殆ど政府支持の人物が多く、また安積地方の開拓支援で政府の資金援助と政府幹部との交友があって、理念だけが先行していた自由党の人々に付いてゆくことは出来なかったようだ。宮本百合子が小説を書いた大正5年頃から、郡山は良くなって来たようだ。