昭和28年2月22日 大田区千鳥町の鶯亭金升宅を訪問
「正岡容このふしぎな人」という本を読んでいたら、このような文があった。鶯亭金升日記にも記述があった。正岡容は昭和の始め浪曲『天保水滸伝』の台本を二代目玉川勝太郎に提供したという文献があってこの人物を知りたいと思って本を借り出した。「利根の川風たもとに入れて、月に棹さす高瀬舟……」の名調子の台本を作ったのが正岡容かも知れません。戦後正岡は笹川や飯岡に旅行に行っています。「明治東京風俗語事典」正岡容著の後書きで川尻清潭(歌舞伎研究家)と鶯亭金升の名前が出てきます。
福神漬の資料調査からこの頃脱線していて本筋の線が見つからず停滞しています。雑書を読んでいるうちに其のうち本線に出る出会いがあると信じてまた本を借り出すことになる。
正岡容の妻は花園歌子で吉野作造の明治文化研究会に唯一女性として参加していた人でした。「芸妓通 」花園 歌子著があり一回都立中央図書館で軽く読みましたが記憶に残っていません。