年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

明治のおもかげ 5

2013年05月10日 | 宅老のグチ
擂鉢山古墳
上野の山の東京都文化会館の後ろに古墳があるとは知らなかった。根岸に住んでいた長井少年(鶯亭金升)が神田雉子町の団団珍聞に通っていた頃、根岸の里の住民が下谷に用達しに出るのにどうしても上野の山を越えなければならなかった。山下を回れば寂しい貧民街を通らねばならなかった。一番近いのは鶯坂から両大師の傍らを通り擂鉢山という名前のある古墳へ出る道だった。一葉も図書館へ通う道だったかもしれない。

同潤会が昭和4年に造った現存する唯一の同潤会上野下アパートメントが取り壊されるようだ。この建物は関東大震災後の上野貧民街の跡に建てられたと書いてあったのをみた。少し離れているが近くにあった下谷万年町は明治東京の三大貧民街の一つで慣れない人達は避けて通行していたようだ。でも上野山下は福神漬の資料調査でたびたび出てくる地名である。
コメント
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