年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

ネガの明治

2013年05月13日 | 宅老のグチ

2013年5月12日 読売新聞日曜版
山田風太郎が50歳を過ぎてからの明治小説の中に「地の果ての獄」という小説がある。原胤昭の「囚人といっても、やはり人間なのですから」という言葉を取り上げている。石川島人足寄場を管理していた町奉行与力の子として生まれ、明治の自由民権運動筆禍事件で石川島に投獄され、そこで劣悪な囚人の生活の改善を図るため、監獄改良、出獄人保護事業に生涯をささげた。
 福神漬の資料調査をしなければこの人とは縁のなかった人物だった。今気になっているのは原が神田須田町で配布した小林清親の絵になる浮世絵が福島事件被告人花香恭次郎と明治5年前後南茅場町でどんな関係があったのだろうか。この時にはすでに三菱関係の東京支店のようなものが南茅場町のところにあった(明治3年)。南茅場町は原の住まいがあった。日本郵船(南茅場町)のカレーライスと福神漬の関係はどこから繋がっていたのだろうか。
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