年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

明治文芸と薔薇 中込重明著 再び読む2

2013年05月20日 | 宅老のグチ

通の条件
夏目漱石と落語
夏目漱石は落語を愛していた。しかし家族の述懐にはほとんど落語の話は出てこない。中込重明氏によると文筆業の漱石が落語について評論をしなかったのは落語通であったゆえであるという。明治の当時の通人の条件の一つに従っているという。中村幸彦氏は「歌舞伎通は歌舞伎役者と歌舞伎研究家の中からは出ない。」(中村幸彦著述集第五巻)という理屈だという。
 首くくりの松 牛込(今の飯田橋駅付近)辺りの土手の松のことが出ていた。この松は鶯亭金升の「明治のおもかげ」にも出てくる松である。飯田橋は麹町二番町にも近く、鶯亭は母からこの話を聞いて記憶していたと思われる。喰違門(くいちがいもん)の松は今の上智大学付近らしく、明治の中頃の落語では「首吊り」のところと知られていた。どの松が噂の松に当たるかは当時の人に聞くしかない。

 また脱線調査となってしまった。漱石は根岸の正岡子規の家に関係がある。福神漬も漱石の好物として英国行きの荷物の一つになっている。(東北大学図書館所蔵品より)



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