年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

明治文芸と薔薇 中込重明著 再び読む7

2013年05月28日 | 福神漬
世界を取り入れる
明治の文明開化で江戸は東京となり、比較的異国との交流がある横浜等の交易港についで西洋文明の刺激を受けた東京は西洋文明の影響が早いほうだった。上野下谷はそれでも庶民の町であったから、西洋文明を受け入れることに抵抗があり遅れていたように今では見える。
 上野公園で開催された明治10年第一回内国勧業博覧会で、特に「勧業」の二文字を入れ出品物の中から殖産興業推進に繋がるものを選んだようだ。欧米からの技術と在来技術の出会いの場となる産業奨励会としての面を前面に押し出していた。缶詰が出品されたかどうかは不明だが明治10年10月22日が「缶詰の日」の由来となっている。
上野公園の観光客をあてにしていた池之端酒悦主人は博覧会で缶詰を見たと思われる。上野戦争で荒廃した門前町は工夫して生きるしかなかった。江戸時代には3軒あった香煎茶屋は酒悦のみ生き残った。
世界という言葉は今意味していることと違ってどちらかというと「世間」という感じの使われ方をしていた。いまの世界の意味と同じような使われ方をしていたのは「万国」という。万国博覧会はその名残となる。
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