年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

石川島資料館へ3

2014年02月05日 | 築地市場にて
下記は10年程前のIHIの広報でありますがどうやらIHIは嘉永6年12月5日が創業日のようだ。

2003年度 新たな150年へ。IHIが創業150周年 ~コーポレート・スローガンは“Explore the Engineering Edge”~
-2003年12月4日
(参考資料)
 嘉永6年(1853年)6月、浦賀沖にペリー提督率いる米国東洋艦隊の黒船が来航、同年12月5日に江戸幕府が江戸隅田川河口の御用地石川島を造船所敷地と決定し、水戸藩主徳川斉昭に設立と運営を命じたのがIHIの前身である石川島造船所です。同造船所での船の建造は、翌嘉永7年(1854年)1月2日から開始されました。まさにIHIの歴史は日本の夜明けと共に始まりました。
 もう少し、水戸藩と浦賀奉行衆との関係の資料が石川島資料館にはありそうだ。嘉永年間の隅田川は今より川幅が広く、佃、月島は東京湾に浮かぶ土地だったようだ。ただ水深が浅く、造船所として適切だったか不明である。石川島造船所で一応形になって旭日丸(洋式帆船)をドックから引き出そうとしたが失敗し、もたもたするうちに大潮だろうと思うが人知れずドックから出て隅田川支流部分の浅瀬に横倒しとなり、江戸市民から『厄介丸』と嘲笑された。
コメント
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