被疑者の逃亡
今の時代でも犯罪者や被疑者が逃亡すると大騒ぎとなる。その拘留事由に関わらず。写真などない江戸時代で逃亡した高野長英を逃がした町奉行の関係者のメンツはどの様な気分だったかは想像できる。それは拘留事由が冤罪であってもメンツは別の問題となる。
佃島の監獄を明治17年3月の大潮によって浅くなった隅田川を渡り脱獄した自由民権家高田事件被告人赤井景韶の時も明治政府の権力者たちはテロを恐れ大捜索したと言われる。
IHIの社史によると隅田川浚渫工事がこの逃亡事件の後から始まっている。この浚渫工事の土砂で月島勝鬨の土地が生まれたという。