明治末期まで東京の漬け菜の代表は三河島菜だった。東京の地野菜の本で数年前まで絵があっただけの野菜だった。荒川区を中心として三河島菜は隅田川の氾濫で肥沃な土地でさらに人肥も手に入ったようで漬け菜の産地だった。それが明治の末に中国から入った白菜によって東京市場から駆逐された。東京が震災戦災になって都市化が進み、種をもっているところもなくなり、都立の農業高校の努力で遠隔地に残っていた種から三河島菜の復活を図っているようだ。
昨日1月23日の読売新聞によると荒川区が力を入れているようだ。江戸は都市であったたため漬物も多かった。今では名前だけ残っていてどの様な味だったか解らず消えた漬物も多い。