年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

上野の科学博物館へ

2016年09月07日 | 築地市場にて

 

築地に出る前、上野の科学博物館へ行ってきました。田中芳男没後100年の展示を見るためでした。

築地の移転が延び時間が出来たので田中芳男等が上野で開催された博覧会で命名した経緯を再度調べてみよう思った。

 この出典は博覧会開催時期の誤りがあり、資料としての信ぴょう性が欠けていて、福神漬の命名由来で面白いけど命名由来として広がっていないので調べることを怠っていた。

 大垣の蘭医を調べていると、尾張本草学者との交友が浮かんできた。

漬け物使用されたなた豆は明治の山中笑(共古)によると伊勢地方で色々な薬効があったようだ。

 

科学博物館の田中芳男の展示物で東大所有の福神漬のレッテルが収集されているものの実物があった。明治後半期の印刷の色は100年を超えたとは思えなかった。

コメント
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