年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

幕末の尾張藩

2017年10月14日 | 福神漬

 

明治事物起源・石井研堂の缶詰の始まりに四谷津の守に住まいし米国人という記述がある。気にしなければよいのだが新宿区歴史博物館が津の守坂にあることに気がつき訪問したが石井研堂による記述の根拠は見つからなかった。

 さて幕末に四谷津の守(新宿区荒木町付近)には尾張藩の支藩である美濃高須藩の江戸藩邸があった。高須四兄弟の生誕地であった。石井は二本松藩の福島県郡山出身で維新の混乱に巻き込まれた人で当然津の守の四兄弟には何か言いたいことをソフトに記述したように思われる。米国人に缶詰の製造法を習ったという山田箕之助は西日暮里駅付近の諏訪台浄光寺に福神漬顕彰碑に名前がある。

幕末の尾張藩は福神漬の歴史に尾張本草学が関係してくる。尾張藩士水谷豊文とその門人伊藤圭介・田中芳男に繋がる本草学から植物学の歴史が見えてくる。特に上野公園の整備に尽力した田中芳男は福神漬の命名者の一人にもあげられている。文政12年(1829)秋田で死去した菅江真澄は一時尾張藩の薬草園に勤めていたという。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする