年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

考証天保水滸伝から

2017年10月30日 | 福神漬

千葉県旭市図書館で(考証天保水滸伝)に幕末における海上郡内領主区分図というのがあった。船橋市史近世編で幕臣長井五右衛門昌言の知行地が飯岡のところに二ヶ所あると記載されていたが飯岡町史を読んだだけでは判らなかったので大原幽学記念館の学芸員に聞いたところ、今の旭市上永井(行部岬灯台のあるところ)と飯岡町と言うことだった。飯岡町ということは天保水滸伝の悪役となっている飯岡助五郎の町である。助五郎が浦賀に近いところの出身で長井昌言もペリ-の国書を受け取った浦賀奉行戸田氏栄の3男である。

 このことと花香家に養子となった戸田氏栄5男鉄丸(後の花香恭次郎)とどのような関連があったのだろうか。後は嘉永3年の時、二人制の浦賀奉行で戸田は江戸に滞在していたのだろうか。高野長英が惨殺されたのが嘉永3年10月末である。南町奉行所内の与力同心は冤罪であっても高野長英が小伝馬町牢獄から逃亡したことを重く見ていたのではないだろうか。

 高野の逃亡を助けた内田弥太郎が処分を逃れたのが浦賀の防衛警備にとって必要な人材だったからではないのだろうか。ペリ-来航後、内田は政治の表面から消えている。明治になって暦を太陽暦にしたり、度量の統一を図った。国立科学博物館に内田弥太郎の所蔵していた物差しや升があるという。

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