年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

台風で食文化が変わる例

2019年10月22日 | 宅老のグチ

三浦市農協のホ-ムペ-ジで昭和54年(1979)の10月29日に三浦地域を台風が襲った。この10月の台風20号は今でも記録に残る海上における中心気圧が低い台風(870hぱ)だった。 10月も終わりなので大根のまき直しもできず。関東の市場は被害の無かった地域の青首大根がが占拠するようになった。この当時の練馬大根系統の三浦ダイコンが大きな被害を受けたのを契機に、「青首ダイコン」が三浦のダイコンの座を取って替るようになりました。

 この青首大根は練馬系の大根と違って青首部分が畑の上に出ていて高齢農家の収穫作業が簡単になった。多くの農家が青首大根になったため漬物業者がこの対応に追われた。一部は海外・特に中国山東半島へ行った。国内は浅漬けの大根の漬物となった。

 青首大根はスリムで昔の練馬大根を知らない人たちが大根足を嫌わないようになった。白く細い大根は嫌悪感が消えた。今の練馬の人達は大根で町おこしをするようになった。

12月25日に毎年三浦農協から東京市場に昔の練馬大根系統の三浦ダイコンが毎年入荷する。やはり正月の伝統食品用の大根は練馬系だろう。

こんどの台風で高齢農家の再建意欲が消えたようだ。もしかすると農業用地所有と耕作作業の分化が広範囲に堂々と先祖に気兼ねなく始まるかもしれない。

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