年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

液晶テレビの廃棄料金

2021年12月16日 | 宅老のグチ
10年以上前に買ったテレビを廃棄するため、家電量販店に電話し、廃棄料金を聞いた。5720円という。これは持ち込み料金で普通のネット表示の32インチの廃棄料金は消費税部分が気になる。今は断捨離をしているので廃棄価格を選択する時間がない。
 16インチサイズの薄型テレビは処理費用は安いが、今は新規の薄型テレビが激安となったため、廃棄費用が高いと感じる。そろそろ国内のテレビ販売には廃棄料金を販売時に上乗せする仕組みが必要だろう。高価格となった廃棄費用は不法投棄と環境破壊をもたらす。熱海の惨事は建設廃土から様々な予期せぬ問題が生じた。これが廃棄から被害の時間が短かったから捜索資料が残っていたが、数十年先となれば、関係者の記録と記憶が喪失する。
 今の日本は環境問題に関心が薄いが、デジタル社会では記録と映像が残っていて、今は許されても将来は許されない時代が迫っている。
 高齢テレビ司会者がセクハラ発言をしていて,糾弾されているのと似ている。過去は許されていて、冗談とか過失で済んだことも、時代感覚がずれていると言われる時代となった。時代の平衡感覚は左翼の人にも通じて、過去の戦争の記憶からまだ特攻というものから逃げられない。今は戦地に行かなくで、自国の地下深くの指令所で戦闘行為を行える。そして防御兵器を破壊後、言論弾圧と監視カメラで人民を支配する。
 英ジャーナリスト・作家のジョージ・オーウェル(1903~1950年)が1949年に風刺SF小説「1984」を発表た。オーウェルは1984年の世界で人々が息苦しい監視社会の中で暮らす様を描き、全体主義に警鐘を鳴らした。IT技術の進歩で国や企業による個人情報のデータ化など、私たちが住む現代の社会が驚くほど「1984」の作中の世界に近づいてきている。今必要なのは未来の感覚で今を生きないといけない。人はいつかは死ぬ。しかし検索すれば映像がどこかに残り、加工される恐れがある。日々の生活から誤報を避けねばならない気がする。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする