年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

農林水産業で一番怖い事

2021年12月20日 | 宅老のグチ
今年の年末に、牛乳が学校閉鎖のため大量に余るという。江戸時代の文献を読んでいると、飢饉とか多発しているのに、コメを原料としている酒作りが安定していてどのような考えをして統治者が容認しているかを書いた書籍が見つからない。
 農林水産業の一番の問題は生命維持の食料と普通は思うし、学者たちの飢餓対策の研究も多い。しかし食の変遷を見ていると、生産過剰の時の対処によっては制度が破壊され、素人農業政策の失敗の記憶が残る。コメが余って、米価が下がっても、すぐには江戸の物価は下がらない。支給されたコメを札差しにもっていってもわずかな金しかならない。天保の飢饉のときの東北の藩主がコメが高額になって、領民が飢えで困っているのに非常用のコメを自分の地位の向上に使った例もある。
 そこで一時的に過剰生産となった生鮮食料品が加工保存食品になる。
今、工場野菜とか海でなく陸地で水産物を養殖できるようになった。それは設備に経費が掛かるし、さらに運行のための電気等のエネルギ-が必要となる。ところが農水産業は自然の力で再生産しているので昔の農水産業はエネルギ-コストが低い。戦後の食料不足の時、世界で戦争のため漁業が盛んでなく、資源が豊富だった気がする。敗戦間もない日本農業は肥料が不足していて、特に大豆を使った肥料は大豆が食料となってしまって、肥料が少なかった戦中農業が不振だった。
 多くの工場野菜の展開は日本ではごく一部のところで、もやしとかキノコ類しか思い浮かばない。あのユニクロでさえ、銀座で野菜販売に失敗した例もある。当時の青果業界の人たちの意見ではお手並み拝見だった。今年の冬は重量野菜が天候に恵まれ極端に安い。また施設栽培の農産物が燃料油高騰で苦労していて、年明けの新聞は騒ぐだろう。冬にイチゴを食べる生活は不自然と思うべきだろう。

 過剰になった野菜は保存食として漬物にした。しかし、今は年中食料が豊富で冬だからと言って、雪深い都市でも生鮮食品のス-パ-がある。このようなことで保存食業界は衰微していった。缶詰は円高で弱体化し、今は原料不足と高価格原料で消えつつある。爆食の中国に買い負けで、気が付かない内に上等の寿司を食べるには異国に行かなければならないかもしれない。それはドバイになるかもしれない。
 間も無く成田市の地方卸売市場が空港の隣に移転し、豊洲市場の業者と提携し、輸出用の生鮮物の品揃えの用意を業務とする事業が始まる。国によって規制が異なり、さらに飛行機と言って時間が足りない。コロナ下では日本に来れない人の需要をつかむことが出来るのだろうか。
コメント
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