年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

文献で知った、ベトナム古都のラッキョウ

2021年12月22日 | 宅老のグチ
今から十数年前、ベトナムの古都を旅した日本人旅行者の紀行文がでフエで(らっきょう)らしきものがあった。それは鎖国以前の日本人から伝わったかもいう曖昧な文章が頭に残っていた。(この記憶は今では根拠はない)

 日本の漬物のラッキョウは産地が福井・鳥取・九州と沖縄の島ラッキョウで高価格路線で販売している。そして青果の方ではエシャロットという名前で販売している。6月だけが泥付きラッキョウとしてコ-ナ-で売っている気がする。漬物のラッキョウは子供の時に包丁を握らせられ、根切りをし余分な茎をきった。まだ確認していないが最近まで機械で切っているという情報はなかった。これが人件費の高くて、ラッキョウの臭いが嫌われ、多くの漬物業者が中国に移転した。
 移転した中国でも農村部の人手不足が始まり、今は都会へ行けない老女と女子高生で生産を維持していた。
 チョット前までラッキョウ製造の日本メ-カ-さんの人に聞くと次の産地が見つからないと言っていた。そして今日見たサンプルに裏面にベトナムという産地表示があった。ついに中国以外の産地が稼働した様だ。漬物業は繊維産業と似ていて、人件費の安ところへ産地移動がある。これは多くは台湾梅干しから始まる台湾華僑のネットワ-クから来ている気がする。多くの漬物は飲食店で無料で提供される。それゆえ価格の上昇を飲食店に転嫁できない。昔と言っても30年ほど前、弁当に入っている小梅が不作で高騰した。それは値上げを認めない漬物業界をあきらめ、農家が農薬・肥料を惜しんだため、大不作となった。やむなく漬物業界が飲食店・弁当業界に申し込んだが、値上げを認めるところは少なく、ほとんどが弁当から小梅入りが消えた。
 ネットで調べるとすでに2年前からベトナムのラッキョウ工場が稼働しているようだ。日本人の感覚だとパールオニオンのピクルス という見方もある。
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