年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

坂口安吾と同年代の父は

2022年02月03日 | 宅老のグチ
最近坂口安吾の本を読んでいて、父と同年代であったことに気が付く。父は明治40年代に生まれ、昭和30年末に病死した。坂口安吾も明治39年生まれで昭和30年に死去した。昭和の戦争の時代は徴兵検査の時期も中国戦線での兵士の不足状況で決まっていた。合格基準が厳しく兵士になりそこなったようだ。昭和19年頃から最も内地の空襲の激しい東京.大田区の工場地帯にいて軍需工場を攻撃する焼夷弾の雨のような中を生き残り、戦後の混乱を見事に記述し今に残る。
 父は昭和20年に35歳くらいに徴兵されたが、最初の20歳の検査では扁平足ということで軍隊生活は逃れた。しかし陸軍納入の漬物業者であったため、軍隊の理不尽な様子は知っていたと思う。
 敗戦後に1億総ざんげの中で坂口安吾が『特攻隊に捧ぐ』を書いて、遺族としてほっとしている。もう敗戦と思っていても、自己の命をささげる特攻命令の数日前の料亭での記念写真がある。緊張している。迷う仲間をどう引っ張っていったのだろうか。 
 敗戦間際の日本の状況は語り続いていて、記録も多く残っているが、敗戦後にあった焼け野原となった時期の記憶と記録が少ない気がする。JR新橋駅前の闇市や飲み屋街が再開発のビルとなり、耐震の問題から建て替えとなるようだ。ここにも記憶が消えてゆく。さらに相続問題で所有者が変わってゆく。
 ここにDXの問題が密かに入っていて、土地の測量技術が人工衛星の電波を利用しているので土地の再測量の見積もり依頼したら、都会では高額になるという。ネットでは30万円と書いてあるが収まらないといわれた。
 今度の自粛再々延長で自分の最後の準備をしようと考えている。
コメント
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