fate 中学の英語の授業でこの言葉を知った。英語圏でも運命という言葉があった。この時は父が死去して4年後くらいだと思う。
101歳の母が亡くなって、もう一度中学の時の暗い過去がよみがえる。他の人には父がいるのに自分にはいない。当時は戦後の片親の多い時代でそれでも心が暗くなった。
人の死の中ででガン死と老衰死は心の準備期間がある。
人生を線香花火に例えると老衰死は途中で華々しい光を発散させ、最後に光の玉が小さくなり消える。そして煙が上り、紙のこよりだけが残る。
父が九歳の時に亡くなって、母と兄弟の協力で最近まで無事に生きて行けた。これは周囲の協力と漬物業界の支援だろう。経営力の弱くなった母の会社を同業者もいじめることもなく過ごせた。高度成長で小さな業界での競争より、他の発展している業界に人手は取られた。時代に感謝しかない。思い出は年月を過ごすにつれて、消えてゆく。そして写真で記憶が戻る。昔の家が写真にあって、小さな貧弱の子が写っている。周囲の家並みもすべて消え、残っているのがないのが東京かもしれない。色あせた白黒写真が60年以上の年月を示している。
写真の中で思うのは家族の写真より、家の周囲の写真の方が記憶を復活させる。バブル期に多くの周囲の家が消えた。木造の家は30年経てば変わるがマンションは建て替えが困難で結構古くても残る。地方の藁ぶきの家が残り、都会の変化の激しさを感じる。築100年の家は都会では耐震ということで壊される。