和歌山県の外れに新宮市がある。ここには漬物の青高菜で覆った目張り寿司というのがある。これは寿司というよりおにぎりを海苔の代わりに使ったもので食べる時に目を広げて食べる姿からメバルと言われたようだ。この駅弁の寿司を食べるため、紀州の梅業界との会合の帰りに紀州本線を南部駅から、名古屋経由で東京への帰途時に普通電車に乘って、新宮で途中下車したことがあった。駅の観光案内所で観光地図をもらい歩く。目指したのは熊野速玉大社。途中の屋根付きの仲之町商店街を歩く。平日の新宮は人も少なく、寂しい。案内板が速玉大社と共に佐藤春夫記念館がある。近所のようだ。参拝の帰途、佐藤春夫記念館に行く。そこで大逆事件で刑死した大石誠之助が晴夫の親族ということ。さらに駿河台の文化学院創立者西村伊作も新宮の人ということも知る。新宮の文化人 童謡ハトポッポの作詞者東くめ、小説家中上健次等。
今は交通不便なところだが新宮市の熊野川上流に石炭が採れるところがあって、明治期のアメリカ行きの貿易船が新宮から出ていたこともあった。そこで和歌山県からアメリカ移民が目立つのは歴史的背景がある。
関東大震災の混乱時に大杉栄等が惨殺された。日本は極東の外れで、西欧からの監視の目が無いと思っていて、簡単に人を殺す。しかし日露戦争後の対日本政策の見直し、黄禍論が始まりつつ時期だった。極東の小さな国がロシアを武力で勝ったということ。
今の中国は戦前の日本と似て来たようだ。反政府の行動をとると治安維持機構が動く。この点で強権中国は戦前の言論統制の日本史を研究している様だ。しかし対処のできない日本の先行事例が少子と見える。何しろ人口数の正確さが欠けていて基準となる政策の評価が出来ないようだ。やはり統計は正確でないと歴史の評価が出来ない。
大杉栄が震災のどさくさ時に惨殺されたが小説家の角田房子さんの評伝本に近い(甘粕大尉)を読むと具体的な惨殺の状況が書かれていて、憲兵隊本部の行為が洩れることを想定していなかったようだ。これは日本の社会主義者から大杉栄の行方不明で騒がれ、憲兵隊本部で隠すことが出来なくなったようだ。隠すと外国からの救援とか借金が難しくなると政府は思っていたのだろうか。今は情報隠しが一時的に成功しても死者は生き返らないので、時間が経つと不祥事を調べられる。