年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

笑止千万  辞書編集者の嫌いな言葉

2023年06月20日 | 宅老のグチ
少子の事を入力していて笑止千万という言葉を思い出して調べると、笑止千万の意味は普通は(ばかばかしい)という意味で使われているが辞書編集者によると語源、由来のはっきりしない言葉という。それゆえ誤用も多い気がする。そもそも笑止とは何だろう。

 子供の出生数が激減してからこの影響が新聞に現れている。高齢者の増大は見た目の人口数の縮小は減らないが、高齢者は貯蓄があっても消費しない。その理由は将来不安と既に物は家にあふれている。物の収容容器である家は買ったものであふれていて、粗大ごみの出す日は前日夕方から街で見かける。
 ベッド、和タンス、椅子、フトン等々の生ごみ以外のものが出される。まだ十分使えそうだが新品を販売している業者保護のため、引き取り再販売をしている行政は少なく、さらに宣伝していない。
 TVの視聴率が個人視聴率となって、物の購入意欲のある年代が重要視され、それに合わせて番組が作られ、動向異局(同工異曲)で似たものになる。それがまた宣伝効果を狙う企業ウケに伝わる。売れ筋という言葉があった。多分今でも使われているだろうが時代は少しずつ変化していて、まだ日本のテレビでは外国人俳優を使いこなしていないようだ。
 少子の日本は好き嫌いに関係なく、コロナ明けの浅草の異国人観光客で混んでいることに慣れないといけない。古からの在留異国人は日本のサ-ビスが悪くなったというが、もうサ-ビスがタダでは過去の日本を保てない。
 流動性の低かった日本人は周囲も自宅と同じように掃除するし、花を植える。転々とし居住地を変えてきた異国人は美しいというが掃除労働者の職を奪う発想法は日本には強くない。それは江戸時代の江戸で拾い屋という職があって、紙やわら草履を集め再生紙を作っていた。さらに家を貸している大家さんは店子の排泄物を肥料としての利権を持っていた。
 従って小学校の教室掃除は日本の過去の歴史から来ていて、教室は自宅扱い、運動場・競技場も自宅扱いとなる。自宅が汚ればゴミ屋敷となり非難される。
コメント
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